Wendy-Net トップページ > Woman > Back Number >フリーペーパー『灯台どうだい?』編集・発行人 不動 まゆうさん

Woman

BackNumber

フリーペーパー『灯台どうだい?』編集・発行人/不動 まゆうさん

不動 まゆうさん
「灯台を好きになってみてはどうだい?」
Profile

不動 まゆうさん/フリーペーパー『灯台どうだい?』編集・発行人

 

涙の唱歌

 「こおれる月かげ 空にさえて…」。声を震わせながら歌ってくれた。私が敬愛する元海上保安官、現在70代となる元灯台守だ。『灯台守』という歌をご存じだろうか。作曲者不明のイギリス民謡に勝承夫(かつ よしお)が歌詞を付けた昭和の唱歌だ。この歌を聴くと必ず涙をこぼしてしまうという。おきなは、こんな風に話をしてくれた。

 初めて赴任したのは北海道の恵山(えさん)岬灯台。まだ私は青年だった。灯火を守り、霧が出れば霧笛を鳴らし、船のSOSにモールス信号で答える。冬、交代制で取る数時間の睡眠から起きると、布団の縁には呼気が凍って霜が付く。水平線と崖、山と雪、他は何もない。2日遅れで届く新聞は都会での闘争や事件を知らせてくれるが、この場所にいる自分は社会から切り離されてしまったように感じて、つらかった。そんな中、慰問と称して婦人会が食事を作りに来てくれることがある。まだ独身で自炊をしていた自分には、これも大変ありがたいことだったが、一番うれしくて忘れられないのは、近くに住む小学生の慰問だった。彼らが歌を歌ってくれたんだ。それが『灯台守』というこの歌。「灯台 まもる人の とうときやさしき 愛の心…」。彼らの歌は、本当に心がこもったものだった。なぜだか分かるかい?彼らの父親は、みんな漁師なんだ。だから子どもながらに灯台の役割をちゃんと知っていた。お父さんが無事に帰って来られるのも灯台のおかげだと言って、本当に心を込めた歌を歌ってくれたんだ。この歌を聴いて、私の仕事はとても重要なものだと実感することができた。環境は過酷で、つらいことも多かったけれど、今は赴任していた灯台をふるさとのように懐かしく温かい場所として思い出す。そして、この歌を聴くと必ず涙が出てしまうんだ。

灯台のフリーペーパー

灯台マニアがおくる崖っぷちマガジン『灯台どうだい?』
灯台マニアがおくる崖っぷちマガジン『灯台どうだい?』

 私がこの話を聞くことができたのは、個人で発行している灯台のフリーペーパー『灯台どうだい?』のために、元灯台守へのインタビューをしていた時だった。このフリーペーパーは1年に4回発行する季刊誌で、フルカラー12ページの小冊子。広告は一切取らず表紙から裏表紙まで100%灯台のことを掲載している。灯台の魅力に取りつかれて10年。好きで調べていた灯台の歴史や文化、そして魅力をいろいろな人に伝えたいと思ったことが動機で、2014年2月に創刊し、まもなく8冊目を発行する。

海のサンタクロース

 灯台を守るのは灯台守だけではない。赴任している灯台守一家を支える仕事に従事していた方にお話を聞いたこともあった。彼は灯台巡視船で料理長をしていた方だ。この船は離島や人里離れた灯台を回り、灯火の燃料や水や食料を補給する。子どもには玩具を届け、同乗している医師は灯台守一家の健康をチェックする。そして料理長は、彼らにとって年に1度のごちそうを振る舞い日々の労をねぎらう。海のサンタクロースと呼ばれて心待ちにされる存在だったと聞く。この船は日本全国の灯台を巡回するため、乗組員も家に帰れるのは1年のうちの限られた日数となる。灯台は今やすっかり自動化され、最新のLED灯器が省エネ長寿命の光を点滅させる。2006年を最後に日本には住み込みの灯台守がいなくなったが、日本初の西洋式灯台である観音埼灯台ができてから約150年。その歴史の大部分は灯台守たちが体を張って守っていたのだ。

灯台の瞳

灯台撮影中
灯台撮影中

 私が情熱を注いでいる灯台だが、この趣味はまだあまり世間に認知されていないようだ。趣味を尋ねられ「灯台が好き」と答えても、「東大生が好きなの?」と誤解を受ける。日本人にとって「トウダイ」という響きは灯台よりも東大のイメージが強いらしい。四方を海に囲まれた島国ニッポンには3000を超える沿岸灯台があるというのに、この現状はちょっと寂しい。灯台が観光地となっているところも多いが、多くの人々は写真を数枚撮って満足し(しかも背景を海にするので灯台が写らないことも多い)、早々に灯台を後にしてしまう。もう少し待てば日が落ちる。海に沈む夕日に目を覚ますように灯台は点灯し、レンズを回転させる。私はこのレンズの美しさにほれ込んでいるのだ。レンズから発する光は日が落ちるほどに鮮明に濃くなり、水平線を走っていく。その力強さよ。レンズはフレネルレンズといって、1822年にフランスで発明されたもの。分厚い凸レンズでは重くて回すことが困難なため、プリズムを利用することを考えたのだ。そのプリズムはダイヤモンドのカッティングのように光をキラキラと輝かせる。私は灯台の瞳だと思って見つめる。閃光(せんこう)は彗星(すいせい)の尾のように長く美しい。灯台を訪れたら、灯台の瞳が輝く時間まで待ってみてはいかがだろうか。

灯台を求めて

レンズの美しいSt. Abbs Head灯台(スコットランド)
レンズの美しいSt. Abbs Head灯台(スコットランド)
角島灯台(山口県下関市)にそっくりなArdnamurchan灯台(スコットランド)
角島灯台(山口県下関市)にそっくりなArdnamurchan灯台(スコットランド)

 そんな私は灯台に会いに行くため旅に出る。旅の目的が灯台巡りとなるのだ。仕事の休みが取れるお盆や年末、1週間〜2週間でできる限り多くの灯台に足を伸ばす。今年の夏はスコットランドを訪れ、30基を超える灯台を巡って来た。灯台がある場所は岬の先や、岩礁であるため灯台から灯台への移動距離が長い。時間と費用を節約するため車中でパンなどを食べてストイックに灯台を目指す。いわゆる観光ではない旅行も面白いものだ。スコットランドの多くの灯台は、灯塔の部分が頑強なレンガ造りで白く塗装され、灯籠は黒く、踊り場のところを金色で彩色し、とても格調高い姿をしていた。日本の灯台にそっくりな灯台もあった。なぜなら明治の始めに灯台建築の技術者として来日し、多くの灯台を残したリチャード・ヘンリー・ブラントンがスコットランド出身だからだ。スコットランドのほとんどの灯台は、彼の師であるロバート・スティーヴンソンとその子孫が建築したものである。日本とスコットランドは灯台という共通点があることは知っていたが、今回はそれを実感することができて実りの多い旅となった。

好きな気持ちが一生の宝物

 海に出た人が無事に帰って来られるように灯台はともる。200年前、灯台の光を遠くまで届けられるよう命を削るようにレンズの発明に没頭した人がいた。荒れる海の真ん中、岩礁に灯台を建てるため必死に建築した人たちがいた。灯台守たちは、これまで命を懸けて灯を守ってきた。GPSやレーダーが発達した現在、灯台の必要性に疑問を持つ人もいる。だけど、それらの機器が壊れたらどうするの?灯台は多くの先代が残してくれた遺産だと思う。

 灯台を好きになって本当に良かったと思っている。心ときめくものを見つけられて幸せだ。灯台について知らなかったことを調べていくのは何よりもワクワクし、これに関しては人に負けない知識や経験を持ちたいと思う自分は、学生のころのような野心を感じる。またフリーペーパーを発行することで、そのモチベーションを維持することができているようだ。これから年を重ねて、見つめ方は変わっていくかもしれないが、生涯、灯台と灯台に携わってきた人々に感謝していきたいと思っている。



BackNumber

(無断転載禁ず)