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フォトジャーナリスト/安田 菜津紀さん

安田 菜津紀さん
「ファインダー越しの陸前高田」
Profile

安田 菜津紀さん/フォトジャーナリスト
1987年神奈川県生まれ。studio AFTERMODE所属。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアの子どもたちを取材。現在、カンボジアを中心に、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で貧困や災害の取材を進める。3.11以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。2012年、「HIVと共に生まれる -ウガンダのエイズ孤児たち-」で第8回名取洋之助写真賞受賞。共著に『アジア×カメラ「正解」のない旅へ』(第三書館)、『ファインダー越しの3.11』(原書房)。


 今でも想いを馳せない日はない。2011年3月11日、あまりにも大きな悲しみが東北の街々を、そして日本を覆った。雪がちらつく中、がたがたの道を北へ北へと走り、向かったのは、岩手県の沿岸の街の中で最も南に位置する陸前高田市だった。義理の父母がこの街で暮らしていたためだ。

 病院に勤めていた義父は、4階で首まで波に飲まれながらも何とか流されず耐え抜いた。けれども義母は、1カ月近くたったころに変わり果てた姿で見つかった。彼女は9キロも濁流に流されてもなお、家族のように大切にしていた2匹の犬のリードをぎゅっと握りしめた状態で見つかったという。がっくりと肩を落とす家族たちを前に、ただただ無力さをかみしめるしかなかった。たとえ自分がシャッターを切っても、義母や亡くなった方は帰ってこない。がれきが取り除けられるわけでもない。避難所の人たちがお腹いっぱいになるわけでもないのだ。

今年1月、雪中でも子どもたちはたくましい
今年1月、雪中でも子どもたちはたくましい

 そんな中で迎えた2011年4月21日、陸前高田市内でも、ようやく小中学校の入学式が行われることになった。けれども街の写真館はすべて被災している。私は式の記念写真をお手伝いすることになった。

 私が担当させてもらったのは気仙小学校という、河口に最も近かった小学校だ。校舎は全壊、体育館は焼けただれていた。無事にこの学校に入学できたのは、たったの2人。高台に残っていた別の小学校の図書室を使って、小さな式が行われることになった。

 少しはにかんだ2人に、PTA代表の保護者が語りかけた。「2人の命が、この街にとっての宝物なんです。校舎はなくなってしまったけれど、小学校生活の6年間、これだけは忘れないでください。みんなの宝物であるその命を、6年かけて磨き続けてほしいんです」。ファインダーをのぞく背中から、誰かのすすり泣く声が聞こえてきた。この空間に流れる時間を、1秒も逃すまいと、夢中でシャッターを切った。

震災直後に撮影した、奇跡の一本松
震災直後に撮影した、奇跡の一本松

 この日、2人の命は私たちに大切なことを教えてくれた。入学式というたった1日を振り返っても、避難所暮らしに耐えてきた親御さんや子どもたちの努力があって、奔走してきた先生方の姿があって、飾り付けを手伝ってくれた上級生たちの力があって、全国から2人の学用品を送ってくれた人たちの想いがあった。写真にできる役割は、最後のほんの一握りに過ぎないが、それぞれができることを持ち寄れば、こうして乗り越えられる日があるのだ。

 あれから4年近くがたとうとしている。あの2人は今、小学4年生になった。彼らの卒業式を撮影する日が、今からとても待ち遠しい。そして彼らやこれから生まれてくる子どもたちが、これからどんな災害に見舞われても生き抜くことができるように、少しでもここで何が起きたのかを記録に残したいと心から思う。

 未来に手紙をつづるように今、シャッターを切り続けている。



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