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写真家、奄美観光大使/山中 順子さん

山中 順子さん
「100歳の輝きと出会い続ける」
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山中 順子さん/写真家、奄美観光大使

 

命のバトンをつなぐ

大正2年4月18日生まれ101歳の泉ミツさん撮影風景
大正2年4月18日生まれ101歳の泉ミツさん撮影風景

 その地で生まれ、その地を動かず、その地の自然にもまれて長い歳月を刻み、人々から尊敬される100歳の長寿者がいます。その姿は、まるで樹齢数千年の『長樹』の神木のように気品と生命の威厳と寛容さを秘めて、私たちを見守り、導いてくれる存在です。

 100歳以上の人々を「百寿者」と呼ぶそうです。国内には5万人以上いらっしゃいます。特に、奄美群島と呼ばれる鹿児島県にある8つの島々には百寿者が多く、人口10万人当たり、122.63人で全国平均(42.66人)の2.87倍に上ります(2013年9月1日現在)。私は14年間、この島々に通い、100年余り生きてきた生命を撮り続けてきました。それは最後の旅をしている生命と向き合うことであり、100年の人生の一端に触れる時間でもありました。

 100歳の写真を撮ることは、他にない特有のものがあります。それは10年後に再び会いに行き、あのころと比較するなど、再び会うことのない、一瞬一瞬の出会いです。100年燃え続けた命の炎、命の在り方や力強さを、身を持って教えてくれる存在です。

 日本人の平均寿命は80歳前後。一方、樹木は屋久杉のように数千年も生き続けます。100年生き続けた人命は、数千年生きた長樹に匹敵します。100歳を撮るということは見方によっては遺影を撮っているようにも思われますが、不思議と終末の寂しさは伝わってきません。それどころか、元気や、生きていく上での楽しみ、知恵などをたくさん学ばせていただき、私自身が励まされるのです。樹齢数千年の老木に触れて精気をもらうように、長寿者は若い人々に生きるエネルギーを分け与えてくれていると感じるのです。「元気でキバレ(頑張れ)よ〜」「100歳まで生きたからあなたに会えたのね」と、どの方も、いつでも励まし、命のバトンを渡してくれるのです。

記憶と出合い直しができる豊かなシマ

手紙を書いている泉ミツさん
手紙を書いている泉ミツさん

 助け合い(結)の島ですから、一人暮らしの100歳のおばーを隣の人、集落の人が見守るケースもたくさんありますが、高齢化と都会化が進み、奄美のお年寄りも介護に頼り、施設暮らしをしている方もいます。家族がそばにいなくても、ユーモアを失わずに暮らせるのは、身近に海や山など生まれ育った豊かな自然があり、親戚や顔見知り、方言が通じる人たちが周囲にいること、そして濃密な人生の記憶を持ち、その「記憶と出合い直しができる」ためではないかと思います。豊かな感性の根本は、日常に大自然を持っていることだと感じました。一人で海を眺め、浜を歩くお年寄りを見かけます。自身と向き合える場所を持っているのだと感じました。

祭り、シマ唄が人生を教える

 奄美は、中世は琉球王国に属し、近世は薩摩藩の支配下にありましたので2つの異なった歴史と文化が同居しています。そのため、唄も「奄美は唄島」と言われるほど多く、ノロやユタの歌う神唄から童唄、イトゥ(仕事唄)、遊び唄、八月踊り唄と人の一生に寄り添うように唄があります。ノロは、シマの神祭りを取り仕切る女性(国王から辞令書で任命された国家公務員)で、ユタは民間の霊能者です。従って、神唄はノロ制度が確立した中世のころからあり、仕事唄も相当古いものでしょう。遊び歌には薩摩の役人が出てきたりしますから、近世の江戸時代から盛んに歌われていたのでしょう。ここで言う神とは、ほとんど自然界と先祖のことです。奄美の人々は先祖と自然に守られて生きていると考え、とても大切にします。神々は、まるで隣人のように奄美の人々の日常の暮らしの中に同居しています。

 奄美群島は山が多く、人が住む集落(シマと表現します)は三方を山に囲まれ、唯一の出入口は海。人々は、海と山に囲まれた濃密な空間に身を寄せ合って暮らしています。唄も言葉も気質もシマで生まれました。島の人が「しま」と言えば、島ではなく「シマ」を意味します。旧暦8月に行われる祭り(ハチガツオドリ)では、手踊り、太鼓(チヂン)、指笛(ハト)、三線(サンシン)が鳴り、輪になって家々を回り、シマに響きます。唄や踊りが一番上手なのは先頭にいる長老たちです。一番カッコいい存在だからこそ、家族に敬われ、シマの人々にも慕われ、大切にされています。

生きることは命(ヌチ)をいただくこと

 かつて奄美群島では、家族で豚や野菜などの食材を自ら育て、その命をいただき、暮らしてきました。自分で育てた命をいただくことの痛みを知っているから、心情の肌理(きめ)が熟成して、山の恵みも海の幸も余すところなく、全ていただくという感謝と、そこには子どものころからの記憶と暮らしの知恵があります。薬草となる野生のヨモギを庭で摘み、山からは野生の島みかんを皮ごといただく。命をいただくことは生きることです。各地のシマを回ると、お茶碗いっぱいにご飯を盛り、あるだけの料理で「ミショレ、ミショレ」(どうぞ召し上がってください)と客人をもてなしてくれます。生きていく上でもっとも大切な食事で、あいさつをし、山盛りご飯にありったけの心を添える「気持ちの山盛り」です。

羅針盤となった心の言葉

宮崎アンノフさん(105歳)
宮崎アンノフさん(105歳)

 知らない人に会うことは、危険な行為を受ける可能性もありますが、訪れた人に対して、「来てくれてありがとう、またいらっしゃいよ」と、まるで家族に向き合うようなあいさつで迎えてくれます。相手を敬う気持ちと共に、相手の目を見て、話し、交信する眼は全てを見通しているようです。

 あなたの存在やあなたが今、感じている「恵み」は、どなたから頂いたものでしょうか。一般的には、周囲の方々の協力や自身の努力と能力などによって私の今があり、幸せがあると考えるのかもしれません。

 奄美の島々では、その幸や恵みは大自然や祖先に守られているからだ、と考えられています。「マブライ」といいます。「自然や祖先、ウヤフジ(親)に導かれて今の私があり、恵みや幸がある」という考え方です。命ある万物に感謝し、恵みをいただく人、それを「マブライムン」と呼びます。深い、深い奄美の世界観です。100歳の方々との出会いに学んだ宝物の言葉。目も見えず、耳も聞こえない105歳の宮崎アンノフさんに喜界島で出会いました。私に触れ、太陽に向かって手をかざし、言ってくれた言葉があります。「あなたは光があるから大丈夫…」。その言葉を時折思い出します。全ての出会いに意味がある。その思いと響きを胸に、信じた道を進んでいます。

 奄美群島の100歳以上の高齢者を撮り続けて14年。写真をご覧になられた皆さんが、100年生きた方から生きるエネルギーを頂き、そして命のバトンをがっちり受け取り、しっかり未来へつないで、一所懸命に生きてくださることを願って、私は出会い続けています。2009年に写真集『奄美100歳 母なるシマ、生命の島。』を出版し、100歳のメッセージを添え、活動しています。



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