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書道家/矢部 澄翔さん

矢部 澄翔さん
「書で世界中に笑顔と感動を」
Profile

矢部 澄翔さん/書道家
1976年埼玉県川越市生まれ。2006年より「伝統×革新」をテーマに、書道パフォーマンスやワークショップ、個展等の活動を世界10カ国以上で展開し、高い評価を得ている。また商業用のロゴデザインなども多数手がけ、現在100名の門下生を指導しながら蔵造りの街、小江戸川越のアトリエを拠点にグローバルに活躍中。
http://yabe-chosho.com/


OLから書道家へ

 初めて筆を持ったのは、小学校2年生。家から一番近い習い事がたまたま習字だった。何の取り柄もなかった当時、習字の先生に褒めてもらえたことがうれしくて、一生懸命に練習するようになった。いつしか将来は趣味の1つとして自宅で習字教室をできればと思うようになっていた。「これからの時代は手に職を持て」と幼いころから父に教えられた影響かもしれない。

 会社勤めをしていたある日のこと、都内のカフェバーに立ち寄った。すると、そこには自由に書かれた書の世界が広がっていた。ちょうど仕事で悩んでいた時で、その書を眺めているうちに、心が揺さぶられ、涙が頬を伝った。それまで、書の作品を観て感動したことは一度もなかった。その時、今まで私は何をやってきたんだろうと思った。上手に書くことだけを意識してきたが、自分の作品には「心」がないことに気付いた。「私も人に感動してもらえるような作品を書く書道家になりたい」。書に対する価値観が180度変わった瞬間だった。

書家の仕事

 書道家として活動をするようになり、「どうやったら書道家になれますか?」という質問を度々受けてきた。近年の書道ブームが影響しているのだと思う。

 そもそも書道家といってもさまざまな仕事がある。一番身近な存在が、小中高校などで書写の授業をする学校の先生だろう。また、大学や書道団体で「教員免許」や「師範」と呼ばれる書道講師の免許を取得して、自宅やカルチャースクールなどで書を教える「レッスンプロ」が日本の書道家と呼ばれる人のほとんどを占めている。それから、「筆耕」と呼ばれる仕事。筆耕とは、賞状書きや熨斗(のし)書き、封筒の宛名書きや式次第などを手がける職種で、「賞状技法士」などの資格がある。また、食品などのパッケージに書かれている筆文字や広告物などの題字を専門にデザインする人は、商業書道デザイナーなどと呼ばれている。個展を開催して作品を販売するなどのアーティスト活動を専門にしている人はごく少数だろう。

 私は服飾系の大学に進みながらも筆耕の資格を取り、大学卒業と同時に師範試験に合格した。会社勤めをしながらカルチャースクールでデザイン書道を学んだ後、書の専門学校に入学して、基礎から書を学び直し、2度目の書道師範を取得した。資格があれば仕事につながると単純に考えていた20代、資格はあくまでスタートラインに立っただけだった。書家といっても幅広い仕事があるが、古典の書を学び続けることが書家として活動する上での全ての原点になっている。

日本の書を世界に

オマーンの最高芸術団体FINE ARTSにて書のワークショップ
オマーンの最高芸術団体FINE ARTSにて書のワークショップ

 2006年にスペインの世界遺産の街サラマンカで書道パフォーマンスやワークショップをして以来、書の本場中国をはじめ世界各国に行く機会に恵まれるようになった。

 そして昨年は、日本の伝統文化である書を広めるため、外務省より中東のオマーンという国に派遣されることになった。約1カ月にわたり小学校や大学で書の授業をしたり、最高芸術団体FINE ARTSで開催されたアラビア書道展で特別展示をしてきた。アラビア書道は足し算の芸術だが、日本の書は引き算によって作品を作る。墨のかすれや余白の美を重んじる日本人に対し、アラビア書道は特殊な竹筆で線を敷き詰めるように書き進めるのが特徴だ。

 オマーンの芸術大学を訪問した際に、イラク出身のアラビア書道作家である大学長と共同制作をすることになった。共同制作を通じて筆を交わすことで、言葉が通じなくても心の距離を縮めてくれた。海外の芸術家との交流は、新しい創作へのヒントに繋がる。

 また、ある小学校を訪ねた時のこと。イスラム圏なので文化や習慣が異なるのは理解していたつもりだったが、掃除をする習慣がないのには驚いた。掃除は雇い人がやるもので、授業の中で後片付けをしたり掃除をしたりする時間はなく、教室を汚してもゴミが落ちていても皆平気な顔をしているのだ。そこで、日本の「心」を子どもたちに理解してもらおうと一緒に道具の片づけに挑戦した。「使う前より綺麗にして返す」、そんな日本人のおもてなしの美学が、書を通じて少しでも伝わればと思った。

 

書で被災地を元気に

Photo by Kosuke Ota Ria&ノリシゲさんが被災直後に作詞した詩『歩きましょう』を書く
Photo by Kosuke Ota
Ria&ノリシゲさんが被災直後に作詞した詩『歩きましょう』を書く

 価値観が大きく変わる出来事が再び起こった、東日本大震災だ。あの後しばらくの間、無気力になり何も手につかなくなってしまった。何かしなければ、と思いながらも何も行動できない無力な自分に嫌気がさした。

 自然災害は、ある日突然に全てを奪っていく。仕事ができるということは当たり前ではない、とても恵まれたことだと思い知らされた出来事だった。震災直後の被災地は、生きるのに必死で芸術は無力である。しかし、アーティストとして書道を通じて、役に立てることがあるかもしれないと思うようになり、アメリカや東京でチャリティー公演をし、義援金を寄付するなどの活動を続けた。しかし、被災地には足を運べないまま1年が過ぎてしまった。今春、岩手県大槌町の吉里吉里(きりきり)という小さな町で、震災直後にカフェバー「Ape」を立ち上げて活動しているミュージシャンを応援しているという仲間と出逢い、現地に行くことになった。

 震災から1年も経つのに、そこには何もない風景が広がっていて、がくぜんとした。現地を視察した後、6×7mの巨大紙を荒野に広げ、彼らが震災直後に作ったという『歩きましょう』という歌を心を込めてしたためた。書き終えた時、吉里吉里の皆さんが「元気が出た」と笑顔で言ってくれたことが心からうれしかった。

 

書で感動を

着物の丸帯を用いたオリジナルデザインの掛軸、「出逢いに感謝」 前例のないことへの挑戦、オマーンのワヒバ砂漠にて「月の沙漠」を書く
着物の丸帯を用いたオリジナルデザインの掛軸、「出逢いに感謝」 前例のないことへの挑戦、オマーンのワヒバ砂漠にて「月の沙漠」を書く

 書は「線の芸術」といわれている。筆1本で多種多様な線を表現できるが、2度と同じものが書けないところが書の魅力かもしれない。気分によって字の表情が全く変わるのも面白い。焦ったりイライラしたり怒っているときの書はきつい字に、幸せを感じているときは優しい作品に仕上がる。「書は人なり」というが、書は自分にとって自己表現ができるツールなのだ。そして、その時の自分にしか表現できない作品を書きたい、まさに一期一会。今まで書を通じた、いろいろな人やモノとの出逢いが、新しいステージにつなげてくれた。今年は、チェコのプラハやフランスのパリ、ストラスブールなど欧州で書を発信することが決まっている。

 10年前、カフェに飾ってあった書から勇気をもらったように、書に想いを込め、世界中の人々に笑顔と感動を伝え続けていきたい。



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