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一般財団法人 鹿野出版美術財団代表理事 服部 聖子さん

一般財団法人 鹿野出版美術財団代表理事 服部 聖子
「父が建てた美術館で思うこと」
Profile

服部 聖子/一般財団法人 鹿野出版美術財団代表理事

お問い合わせ先
弥生美術館 03-3812-0012
竹久夢二美術館 03-5689-0462
ホームページ
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp



挿絵との出会い

 父・鹿野琢見は、一昨年の秋に90歳の生涯を終えた。88歳まで、弁護士として現役を貫き、その一方、2つの私設美術館を立ち上げ、その運営に生涯を費やした人生だった。

 そして内1つの竹久夢二美術館は、昨年創設20周年を迎えた。父が美術館を立ち上げるまでの思いは、幼少のころの1枚の挿絵との出会いに始まった。それは、高畠華宵(たかばたけかしょう)が、雑誌『日本少年』に描いた「さらば故郷!」であった。30年余りが経ち、父は兵庫県の老人ホームで華宵が暮らしていることを知り、書簡を送った。その後、華宵との交流が続き、自宅の一室を「華宵の間」と名付け、生活と創作の場として提供した。

 まだ、幼かった私は、急な階段を登ったその階上にある華宵の部屋に行っては、膝の上に乗せてもらったり、私自身のスケッチを描いてもらったりした記憶がある。私は、彼の描く透けるような着物や洋服をまとった美人画が好きだ。当時、和筆をちょっとなめて、微妙な色合いを調節し、なんとも美しい絵を描いていた姿は、今も鮮明に覚えている。

 華宵のファンクラブである「華宵会」(当時)が発足、初めての個展も開催が決定した。しかし、その初日の前日に先生が倒れ、闘病生活となり、結局、会場に足を運ぶことなく、亡くなられたのは、本当に残念なことであった。

竹久夢二/セノオ楽譜「薔薇は散り行く」(大正15年)

竹久夢二/セノオ楽譜
「薔薇は散り行く」(大正15年)




高畠華宵「さらば故郷!」(昭和4年)

高畠華宵「さらば故郷!」(昭和4年)

夢二への思い

 父の挿絵への思いは、華宵に始まり、その奥深さ、すばらしさに触れるにつれ、同時代に活躍した竹久夢二をはじめとする、ほかの挿絵画家へと広がっていった。単に作品の収集ということだけでなく、特に「人間・夢二」の研究、顕彰に力を注いだ。

 夢二は、恋多き人生をよく取りざたされる。その作品にも永遠の女性像を求めていた。特に、最初の妻・岸他万喜(たまき)、病でその仲を引き裂かれた笠井彦乃、それから、多くの画家のモデルにもなったお葉(よう)こと、佐々木カ子ヨ(かねよ)らとの恋愛は、夢二式美人画の原点といえよう。いわゆる美人画を収集する一方、父は、当時、夢二と実際に交流のあった方々を通じて、その人物像に思いを巡らせた。

 私が、おそらく、中学生か高校生のころ、よく我が家にいらした山田市蔵氏もその1人である。山田氏の兄と夢二は親交が厚く、その死に際し、夢二が弟の市蔵氏にあてた書簡を父が入手し、その思いやり深い文面に感銘を受け、調べてみると、山田氏がご健在であることを知ったのだ。父は、そういった出会いを何よりも大事にし、夢二ゆかりの方々との付き合いを楽しみにしていた。

 私自身は、そのような方々が我が家を訪問してくださった当時は、単にお客さまということで、お茶を出したりしていたのだが、夢二の子息で、美術館の名誉館長を引き受けてくださった不二彦氏は、その顔立ちが夢二によく似ていらしたこと、また、先に書いた山田市蔵氏は、着物の似合ういつもにこにこしたおじいちゃんでいらしたことを記憶している。

 また、最近のことであるが、笠井彦乃のご遺族とお目にかかる機会に恵まれ、いろいろなお話を伺えたのは、大変ありがたいことである。

 父は、弁護士という職業柄もあってか、いわゆる美人画だけでなく、『平民新聞』のコマ絵に代表される社会主義思想を背景にした反戦画、また、愛情深く描かれた子ども絵などにも思いを寄せた。

 作品を前にして、描いた夢二の思いを代弁するかのように、熱く語る父の姿は、職員の前だけでなく、時に、仕事の合間に美術館を訪れ、突然のギャラリートークとしてお客さまの前でも見られた。父が、職員あてに思いやさまざまな指示をつづったノートは30冊以上にのぼった。また、職員が日々の業務を記録する日誌「赤ノート」は、現在もその習慣が継続している。私が本格的に美術館の仕事を手伝うようになったころ、父がよく言っていた。「挿絵というのは、本当にすばらしい文化なんだよ。それを専門で扱っているのがこの美術館なんだよ。」と。その思いが、私にも年々深まってきている。

父の思いを受け継いで

岩田専太郎『音楽』挿絵原画 『婦人公論』昭和39年7月号(個人蔵)

岩田専太郎『音楽』挿絵原画
『婦人公論』昭和39年7月号(個人蔵)

 昨年、竹久夢二美術館は、創設20周年を迎え、その記念となる企画展示を「開館20周年記念 館蔵名品展〜鹿野琢見コレクションにみる夢二の世界」と題して開催した。

 思えば20年前は、子育てと家庭療養中だった母の介護で、父が何をしていたのか、ほとんど知らない。というより、先に設立した弥生美術館の運営だけでも大変なのに…と反対もした。父がどのような思いで、収集、研究に励んだのか。今はもう聞くことは出来ない。しかし絵を前に立つ父の姿を思い浮かべると、このすばらしさをとにかく伝えたかったという、強い思いだけは理解できる。

 年が明けて、現在は、デザイナー夢二に着目した「竹久夢二 図案と装飾展」を開催している。千代紙、絵封筒、楽譜、本の表紙絵、ポスター等々、当時の流行の最先端を走り続けた夢二の足跡が見られ、年月を経た今みても、どれも色あせることなくそのセンスとパワーが感じられる。

 また、姉妹館の弥生美術館では、「百花繚乱!挿絵の黄金時代展」を開催している。おそらく、この倍はいたであろう当時の挿絵画家から300人余りを抜粋し、昭和20年代から30年代に街を彩った挿絵文化の黄金時代を取り上げている。父が存命ならば、壁いっぱいに展示された当時の貴重な雑誌類を見て、「やっぱり挿絵文化はすばらしい」と目を細めていたのではないかと思う。

 父のもと、美術館を支えてくれた職員は8人。開館当初からの学芸員は、「理事長とはよく喧嘩をしたが、最後は学芸員の言うことを認めて、自由な発想を許し、受け入れてくれた」と話してくれた。私から見れば、頑固でワンマンな父であったが、職員を信頼し続けた結果が、現在の美術館の継続につながっているのは間違いない。

 私自身、試行錯誤の日々の中、聞きたくても聞けないジレンマばかりだ。父の思いを継ぎ、多くの方々に来館していただけるよう、皆と力をあわせていくことが使命と考えている。



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