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バレリーナ/瀬島 五月さん

バレリーナ/瀬島 五月
「バレエと私」
Profile

瀬島 五月/バレリーナ
貞松・浜田バレエ学園にてバレエを始める。貞松融・浜田蓉子に師事。 1999年4月貞松・浜田ジュニアバレエ団卒業公演、「眠れる森の美女」全幕で主役・オーロラ姫を踊り、同バレエ団入団。1999年10月英国ロイヤルバレエスクールに入学。ゲイリーン・ストック、 レスリー・コリア、ゲイリー・ノーマンに師事。2000年7月ロイヤルバレエスクールを卒業。2001年1月ロイヤルニュージーランドバレエ団に入団。「Ihi Frenzy」「Christmas Carol」「パキータ」の主役などを踊る。2003年10月帰国。貞松・浜田バレエ団に再入団。 1998年8月「全日本バレエコンクール ジュニアの部」第1位、1999年8月「アジア・パシフィック国際バレエコンクール シニアの部」第1位、2004年4月「全国舞踊コンクール パドドゥ部門」第2位など多くの賞を受賞。



1999年ジュニア卒業講演で主役オーロラ姫

1999年ジュニア卒業講演で主役オーロラ姫

バレエを始めたきっかけ

 私がバレエを始めたのは7才のころ。0才から保育所も小学校も中学校も同じ、家も近所で遊ぶのもずっと一緒の友だちがバレエを習い始めたのがきっかけでした。ちょうど通っていた小学校の目の前にあったバレエ教室。お父さんと一緒に見学に行って、行ったその日に入学することを決めました。バレエが好きだったとかそんなんじゃなく、ただその友だちに負けたくない一心で(笑)。

 そんないい加減な心がけで始めたバレエですからまともに続くわけがなく、小学校5年生までは、レッスンもサボりたい放題。週2回のレッスンに月2回行けばよい方でした。そんな私が真面目にレッスンに通うようになったのは小学校5年生のとき、学園の副学園長である浜田蓉子先生のクラスに進級したときでした。外見も中身も当時はとっても怖くって、「これはもうおちおちとサボれないなぁ…」と思ったのでした。

 努力の甲斐あってか!?ぼてぼてと太っていた身体も少しほっそりとなり、6年生の終わりにはコンクールにも参加させてもらえることができて、見事入選!とってもいい感じに上のジュニアバレエ団に入団したのでした。ジュニアに入団した年のコンクールでは賞をいただくこともできて、「バレエってとっても簡単だわ♪」なんて勘違いをしていたら、中学3年生のときのコンクールで予選に落ちてしまい、大大ショックを受けたのでした。確かに当時の私は、受験の影響もあってか、太りたい放題、レッスンにもろくに行かず、勉強していると見せかけて遊んでばかりいました。心配した先生の忠告にも「うるさいなぁ」と耳を貸さず、平たく言うとバレエをなめていたのです。予選落ちという結果に直面して、私は猛反省しました。バレエをいつの間にか好きになっていたし、これが自分の職業になるんだと勝手に思っていたので、これではいけない気合を入れなおそうと、国内コンクールでは最高峰の「全日本バレエコンクール」に出場させて欲しいと先生にお願いに行きました。先生の返事はあっさり「だめ」…。ショックでした。出場さえさせてもらえないなんて…。1度は諦めかけた私の背中を押したのは母でした。「今やらないで、いつやるの?このままだとダメになる」その言葉に押されて何度も何度も先生に頼みました。私の本気を悟ってくれたのかついにお許しが出て、私は練習に励みました。サボっていた分、練習は死ぬほど辛かった。毎晩家に帰っても真夜中までリビングでお稽古して、それでも上手く踊れなくて、思うように体重も落ちないし、毎日のように泣いていました。あのころは本当に神経質になっていて、バレエ教室で先生に言われたちょっとした一言を気にして気にして、それは大変な日々でした。高校3年間をそんな感じで過ごし、ついに高校最後の夏に全日本バレエコンクールで1位を取ることができたのです。そのときは1位を取ったうれしさよりも、これまで自分が信じて歩いてきた道は間違ってなかったと確信することができて、それがなによりもうれしかったです。

2001年ロイヤルニュージーランドバレエツアーにて

2001年ロイヤルニュージーランド
バレエツアーにて

 翌年の夏も幸運なことにアジア・パシフィック国際バレエコンクールで一位をいただいて、ちょうど審査員として来ていた英国ロイヤルバレエスクールの校長先生に誘っていただき、秋からロイヤルバレエスクールに入学しました。学校に入るには年を取りすぎていたので、もう無理だろうと海外へ出ることは諦めていた私にとってこれは二度とないチャンスでした。希望に満ちて1人ロンドンへ向かいました。何もかもが上手くいくと信じて疑わなかった私。その期待は見事に裏切られ、大変な苦労をしました。言葉はさっぱりわからず、向こうでの生活も今まで親元でぬくぬくしていた私には本当に苦難の日々でした。楽しい思い出といえば、ロイヤルの舞台を見に行ったことくらいかなぁ?でも、今振り返ってみればあの苦労も、学校で学んだことも、全部今の自分の基礎になっているのです。

 その後、ロイヤルニュージーランドバレエ団に就職が決まり、地球の裏側ニュージーランドへ渡りました。そこではソリストとしていろいろと踊る機会をいただきました。時には主役をまかされたりもして、それは充実した日々でした。しかし、私が入団した翌年に芸術監督の交代があって、カンパニーはガラリと変わってしまいました。スケジュール管理もずさんになり、カンパニーの方向性もわからなくなって、残る努力はしましたが、どうしても居心地が悪く、当時はまだ恋人だった夫と一緒に日本で踊る決断をしてカンパニーを離れました。

 そして今、私たちは日本で踊っています。今秋には2人で「眠れる森の美女」全幕の主役に抜擢され、まさにこれから新しいバレエ人生の一歩を踏み出そうとしています。

1999年アジアパシフィック国際バレエコンクール 第1位受賞時(ベロンゴ)

1999年アジアパシフィック
国際バレエコンクール
第1位受賞時(ベロンゴ)

私にとってバレエの魅力とは

 やっぱりバレエを踊っていて1番楽しいと感じる瞬間は、音楽と自分が一体になったときです。特に、オーケストラと踊っているときはこの上ない喜びを感じます。そして、その喜びが観客のみなさんに伝わったとき。カーテンコールで拍手をいただいているとき。これも何とも言えない至福の時間ですね。ナルシストなのかもしれませんが、舞台上でもどこでも「人から見られている」という感覚は私をかなり燃えさせます。私を見てくれているんだ。がっかりさせちゃいけない。楽しませなきゃって思ってついつい張り切っちゃうのです。スタジオで先生にコーチしてもらってるときでさえそう思ってしまうのですから、もうこれは病気ですね。あと、全身で何かを表現するというところにも面白さがありますね。泣くという表現一つとっても、ただ涙を流したり、悲しい表情をするのではなく、全身が泣いているのです。指の1本1本が、背中が、身体のすべてが何かを伝えようとしているのです。これは、だれもができることではなく、ごく限られた一部のダンサーにしか出せないものですが、私はできるだけそこへ近づきたいと日々努力しています。

バレエを見るときに

2004年グランパクラシックにて

2004年グランパクラシックにて



 バレエを見るときには、あまり深くいろいろなことを考えず、全体の美しさを楽しんで欲しいですね。自分がプロのダンサーとして踊っていますので、誰かの舞台を見るときには、技術的なことやそういったものが気になって、もうあらさがしというか、そんな感じになってしまうことがあるんですよね。何の先入観もなしに舞台を見ることができたら、どんなに素敵だろう!って最近では思っちゃいます。最近バレエを見ていてよく思うことは、「基本はとても大切」ということです。バレエは視覚芸術ですから、どんなに顔で表現をしていても、つま先が伸びてなかったりだとか、膝がきっちり引きあがっていないのを見た瞬間に少し冷めてしまいます。特に日本人は西洋人のように骨格で選ばれた人がバレエをやっているのではないのですから、人一倍基礎の習得には気を使うべきだなぁと思います。私自身、表現にたよって踊ってしまうタイプなので、いつもきっちりと基本のポジションを通ることは気をつけるようにしています。こんな風に気にし始めるとキリがないくらいバレエとは奥がとっても深いものなのですが、まず初めてバレエをご覧になる方には最初に書いたように、ただ楽しんで欲しいです。

 バレエを敷居が高いものと思わず、どんどんいろいろな人に劇場に来てもらいたいな!!百聞は一見にしかずといいますから、機会があれば一度バレエを見に来てくださいね!!



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