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338号 注目の人 漫画家美内 すずえさん

連載開始から40年。『ガラスの仮面』の情熱、今も。
美内 すずえ/漫画家
Profile

美内 すずえ/漫画家
1951年大阪府出身。16歳のとき、『山の月と子だぬきと』が集英社『別冊マーガレット』で金賞を受賞し、デビュー。1976年から連載の『ガラスの仮面』(白泉社)は、TVアニメ化、ドラマ化、舞台化されている。『ガラスの仮面展』が8月23日〜9月4日東京・松屋銀座にて、12月1日〜25日京都・美術館「えき」KYOTOにて開催。公式HP http://miuchisuzue.com/ 葦船については「アカルプロジェクト」HP https://akaru.jp/project



ツケで漫画を読み、親から“漫画禁止令”

3歳のころ。実家の理髪店の前で兄と

3歳のころ。実家の理髪店の前で兄と

 小さいころから物語の世界が大好き。私を寝かしつけるのに大人が日本昔話を読んでも、寝るどころか物語の続きが気になって、「桃太郎、それからどうなるの?」と、どんどん目がさえてしまうような女の子でした。

 当時は幼稚園に上がれば字を教えてくれる時代で、「早く幼稚園で字を覚えて、一人で好きなだけ絵本を読みたい」と思っていた記憶があります。幼稚園ではひらがなもすぐに覚えました。

 小学校低学年になると貸本屋さんが全盛に。大好きな手塚治虫さんや楳図かずおさんの漫画が並んでいました。現在の漫画の基礎をつくったのは、貸本漫画で活躍していた漫画家さんたち。『ゴルゴ13』で有名なさいとう・たかをさん、『ドカベン』の水島新司さんのお名前もありました。

 私にとっては夢のような世界。しかも、少しずつ立ち読みしながら貸本屋巡りをすれば1冊の漫画がタダで読めてしまいます。ただし、そればかりだと貸本屋のおばちゃんに怒られるので、時々借りて、お小遣いが足りなくなるとツケにしてもらっていました。

 10歳のとき、そのツケが母に見つかり烈火のごとく怒られました。「漫画を読むなら、もうお小遣いはあげない!」。しかし、運命は不思議なもので、この“漫画禁止令”が私を漫画家へ向かわせるきっかけになったのです。

好きな漫画を読むため10歳で漫画家目指す

 どうしたら大好きな漫画を読むことができるのだろう?幼心に真剣に考えるうちにぱっとひらめいたのが、「だったら自分で描いて、自分で読めばいい!」。これならお金もかからないし、誰にも文句を言われません。私は“自給自足”という言葉が好きなのですが、まさに自給自足で漫画を読むことにしたのです。

 10歳のときに初めて描いた作品を夏休みの自由研究として提出したところ、担任の先生から「美内は漫画家になるのか?」と聞かれ、将来の目標が決まりました。

 それからは親に内緒で漫画家を目指して描き始め、中学校に上がると、講談社の新人漫画大賞に応募しました。応募の決まりは15歳以上、形式(1.2倍に拡大して描くこと)も知らずに投稿した作品は返送されてきましたが、今振り返ってもストーリー自体は悪くなかったと思います(笑)。

ついに金賞受賞。親との賭けに勝った!

 家族に気付かれないよう、布団の中に蛍光灯を引き込んで、投稿作品の下書きを描いたりしていましたが、墨汁を付けたペン入れまではさすがに無理です。高校に入って間もなく「自分は漫画家になりたい」と、親に宣言しました。

 「高校2年生の12月31日までにデビューできなかったら就職を考える。だから、それまで思いっきり漫画を描かせてください」。私の熱意に、最初は「そんなもので食っていけるわけがない!」と反対していた父も折れ、1年半の猶予をもらうことができました。

 そして、高校2年生で投稿した『山の月と子だぬきと』が『別冊マーガレット』の金賞を受賞。その年の9月にデビュー作が掲載されるとお知らせをいただきました。何よりうれしかったのは「これで大手を振って漫画を描ける!」。私は、親との賭けに勝ったのです。

 おかしかったのは父です。実家は理髪店を営んでいたのですが、猛反対していたにもかかわらず、私のデビュー作が載った月刊誌を10冊以上も買って、お客さんにせっせと配っていました。

高校生漫画家デビュー 家族総出で下書き消し

 しかし、プロの世界はそれほど甘くありませんでした。隔月16ページの短編読み切り漫画を完成させるため、まずストーリーをつくって大阪の実家から東京の集英社に送り、編集長のOKが出たら鉛筆で下書きを描いて送り、またOKが出たらようやくペン入れという工程を繰り返しました。

 一番苦しんだのは、物語を16ページに収めることです。のちの『ガラスの仮面』でも分かるように、私はもともと長編タイプの漫画家です。それを16ページで起承転結を入れながら躍動感ある物語にまとめるのはかなりの難題でした。でも、16歳からやっていたおかげで、「このシーンはなくても話は通じる」「この台詞は一言で済む」など、無駄をそぎ落とすくせがついて、長編にも生かせるテクニックが身に付いたと思います。

 当時は高校生でアシスタントもいません。ベタ(黒で塗りつぶす作業)も一人でやっていましたから、締め切りに間に合わず、下書きを消す時間がないときは、父、母、兄の一家総出で消しゴムを片手に手伝ってもらいました。ときどき台詞まで消してしまうハプニングもありましたが、今となってはそれも楽しい思い出です。

バレーボール漫画を描くはずが演劇漫画に

 その後、初めて描いた長編作品『ナオは光の中で』が、『ガラスの仮面』の原点となりました。

 それまでストーリーに注文が出たことはありませんでしたが、17歳のとき、初めて32ページという長編を依頼されました。当時は32ページでも長編扱いだったのです。編集長からは「今は『アタックNo.1』のようなスポ根漫画が流行っているし、あなたは根性がありそうだから、次はバレーボールの漫画を描いてごらん」と言われました。バレーボールに興味がなかった私は「ルールも分からないし困ったな…」と思いながらも、予告カットでバレーボールを持った主人公の女の子を描いたのです。

 そのすぐあと、出版社が東京に招待してくれました。編集部の方に連れられて、日比谷の大劇場で石坂浩二さん主演の『マノン・レスコオ』というお芝居を観て、「舞台って真剣勝負で面白い」と、一気に構想が膨らみました。興奮状態のまま、「編集長、スポ根ではなく、演劇漫画を描かせてください!」と伝えると、編集長も「うーん」とうなりながらも、「やってごらん」と。

 器の大きい編集長の決断のおかげで急きょ題材を変更し、時間がない中、生まれて初めての“缶詰”も経験しましたが、作品は無事に完成。予告編とはまったく違う内容にもかかわらず読者からのアンケート結果も上々で、編集長もご満悦でした。

『ガラスの仮面』40年 こんなに長くなるとは

『ガラスの仮面』

『ガラスの仮面』

 『ガラスの仮面』は24歳から描き始めた作品です。あちこちで言っていますが、こんなに長くなるとは思わなかった。連載を始めたころは、せいぜい半年か1年ぐらいのつもりでした。

 しかし、半年を過ぎるころには「やっぱりあと2年ぐらいかかるかな?」と思い始め、その期間がどんどん延びていって、気付けば10年が過ぎ、20年が過ぎ、去年とうとう40周年。現在は単行本の49巻まできています。こうした取材を受けるたびに「あとどのくらいで終わりますか?」と聞かれますが、最近は「いつか終わりがきます」とお答えしています。

 ファンの皆さんには本当に申し訳ないのですが、私も妙に凝り性なところがあって、「時間がなく画が荒れてしまったコマを描き直したい」「このエピソードはいらなかった」など、雑誌の連載を単行本にまとめるとき描き直しをするようになり、どんどん時間がかかるように。その描き直しの分量がさらに増え、そのうち連載のほとんどを捨てて一から描き下ろすようになり、今は読者が混乱を起こさないよう「単行本のあとに連載をやります」という流れにさせてもらっています。特に“紅天女の章”に入ってからは、考える時間が長くなりました。

 ただ、ラストシーンだけは20年以上前に決まっています。ラストに至るエピソードも、最後の台詞も、構図もすべて20年前に決めてある。それがいつになるかは、今、お伝えできませんが、最終回をあきらめたわけではありませんので、もう少しお待ちくださいね。

舞台が大好き!全回観ることも

舞台『ガラスの仮面』。2016年9月新橋演舞場にて。北島マヤ役・貫地谷しほりさん(左)、姫川亜弓役・マイコさん(右)

舞台『ガラスの仮面』。2016年9月新橋演舞場にて。北島マヤ役・貫地谷しほりさん(左)、姫川亜弓役・マイコさん(右)

 『ガラスの仮面』は、連載開始以降、アニメやTVドラマ化のほか、作中の劇中劇がたびたび舞台化されるように。北島マヤ役にはこれまで大竹しのぶさん、大和田美帆さん、貫地谷しほりさんなど、演出には坂東玉三郎さん、蜷川幸雄さん、G2さんなど、いずれも実力のある方々にかかわっていただきました。

 私自身も舞台は大好きで、お芝居を観ることが最高の取材です。以前は、とても興味のある舞台は、行ける・行けないにかかわらず初日から千秋楽まですべてチケットを買い、仕事を抜け出しては観に行っていました。時間がないときは初日、中日、楽日と3公演の観劇。良い勉強になりました。

 芝居は生き物だということがよく分かりますし、観客の反応、舞台美術、照明によっていかに舞台が変化していくかとても興味深く、他にも歌舞伎、バレエ、ダンス、オペラなどさまざまな舞台から得た感覚が、漫画家としての栄養になり、作品に生かされていったように感じています。

太古へのロマン秘める 葦船プロジェクト

葦船プロジェクトの活動の一環として『道頓堀川開削400年記念合同慰霊祭』に参加

葦船プロジェクトの活動の一環として『道頓堀川開削400年記念合同慰霊祭』に参加

 今、本業以外で力を入れているのが、2003年から始めた「葦船プロジェクト」です。

 「なぜ漫画家が葦船?」と聞かれますが、昔から古代の船に対する憧れや興味があって、新人のころ、帆船を描きたいがために冒険ものを描いたほど。実は、葦船は古事記で「蛭子(ひるこ)神」を乗せて流すくだりが登場するなど、おそらく古代ではもっとも古い船なのではないか、と思っています。川辺の葦を刈って、束ね、それを幾つもロープで束ねて船をつくりあげるのですが、ものによっては何人もの人が乗れます。私も何度も乗っています。太古の人々がこの葦船を移動手段に使っていた時代に思いを馳せ、そこにロマンを感じています。

 また、葦は環境にとってもすばらしい植物です。葦1本には年間2トンもの水を浄化する作用があり、森林の3倍から5倍、CO2を削減する能力があるといわれています。昔はNPOとして、今は、私が関係する大阪の「アカルプロジェクト」の活動の一環として、葦原の再生など河川環境の保全・復元を目指し、全国各地で葦船づくりの教室を開いています。

美内 すずえさん

 アカルプロジェクトの「アカル」は、「ナニワの女神アカル姫」から頂戴しました。また、人々が「明るい気持ち」になり、「明るい未来」になりますように、との思いから名づけました。また2年前から、400年前に大阪の道頓堀川開削のために命を落とした大勢の方たちをご供養するために道頓堀川の側で「供養祭」を行っています。今年も11月11日に葦船を精霊船にして、神主、僧侶、神父さんなどに来ていただきます。また多くの音楽家の演奏や歌、能舞などの供養祭を執り行う予定です。ご縁があれば、こちらにもぜひおいでいただきたいと思います。
(東京・吉祥寺にて取材)


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