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296号 注目の人 バレリーナ/吉田 都さん

人生経験に裏打ちされた、自分の踊りを舞台で表現していきたい
吉田 都/バレリーナ
Profile

吉田 都/バレリーナ
1965年東京都生まれ。バレリーナ。83年にローザンヌ国際バレエコンクールで入賞。英国ロイヤルバレエスクールに留学後、サドラーズウェルズ・ロイヤルバレエ団に入団。88年にプリンシパルに昇格し、95年に英国ロイヤルバレエ団に移籍。2006年より日本に拠点を移す。英国ロイヤルバレエ団を10年6月の日本公演を最後に退団。現在はフリーのバレリーナとして活躍する傍ら、後進の育成にも努めている。
吉田都オフィシャルウェブサイト http://www.blooming-net.com/



バレエとの出合いは幼稚園のとき

幼稚園時代

幼稚園時代

 バレエを始めたきっかけは、幼稚園のころ。お友達の発表会を見て、憧れるというか、なぜか「これだ!」と思ってしまったのです。

 そのころピアノと英会話も習っていたのですが、全然そちらは好きになれなくて。ピアノは練習が嫌いでしたし、英会話は絵本を覚えて話すのは楽しかったけれど、先生との会話は苦手。でも、バレエだけは、とにかく練習の日が待ち遠しくて、お稽古が大好きでした。バレエ以外の習い事はいつやめたかも覚えていないですね。やっぱり苦手だったのでしょうね。それで両親もバレエ以外は諦めたように思います。

 学業とバレエの両立は大変ではありませんでしたか、と聞かれることもありますが、「もっと練習したい。もっとバレエが上手になりたい」と思っていた時期と、レッスン量が増えていく時期が重なっていたので、自分としては特につらいということもなく、ちょうどいい感じでした。

 小学校のころはそれほどバレエに時間を取られることはなかったので、外遊びも普通にしていましたし、家族旅行にも行きました。だんだん忙しくなってきて学校の行事に参加できないこともありましたが、「勉強をおろそかにしてはいけない」ということで、学校の勉強は、合い間合い間に要領よくやって(笑)。本当に普通の小学生でしたが、それがすごく良かったと思います。そのころからバレエ一辺倒の生活になっていたら、ちょっとキツかったかなと思います。

娘を支えた無言のサポート

17歳のとき。ローザンヌ国際バレエコンクールにて

17歳のとき。ローザンヌ国際バレエコンクールにて

 両親は私のバレエを、ごく普通の習い事として見ていましたし、私自身も好きで夢中になってはいましたけれど、プロのバレリーナを目指すとかそういうことは当時まったく意識していませんでした。ただ、習い事とはいっても、バレエは母が協力してくれないと成り立たないもので、送り迎えや衣装など、付きっきりでサポートしてもらいました。

 子どものころに通っていたのは、けっこう厳しく、先生のこだわりも強い教室でした。例えば発表会の衣装づくり。ある程度ベースになるものはあるのですが、飾り付けは全て生徒の親がやらないといけないのです。

 スパンコールをひとつひとつ縫い付けて、一晩かかってできあがったものでも、「これはちょっとイメージと違うからやり直してください」という先生のひと言でやり直し。そういうことを、母は何も言わずにやってくれました。もちろんうちだけではなくて、そこの生徒さんたちはみんなそういう感じでした。

 母がその時点で「もうできない」ということになっていたら、そこで私のバレエは終わっていたと思います。

「あなたの気持ちに引きずられたのよ」

 当時、プロになるかどうかも分からないのに、よくあれほどに私のバレエに付き合ってくれたなと思って、後で聞いてみると、母は「あまりにもバレエに夢中で、本当にバレエが好き!というあなたの気持ちに引きずられたのよ」と言っていました。私があまりにもバレエにのめり込んでいたので応援しようという気持ちになってくれたのだと思います。

 当時からわが子をプロにするのが目標という、いわゆる「ステージママ」のような方はいらっしゃいましたが、母はそうではありませんでした。「バレエのことは分からないから」と、何も口出しせず、私のやりたいようにやらせてくれて「ああしなさい、こうしなさい」というようなことは一切言いませんでした。

 

 子どものときは、いろいろアドバイスしてくれたり、道をつけてくれたりする、そういうお母さんがちょっとうらやましいと思ったこともありましたが、私の性格からして、親から少しでも押し付けのようなことを言われたら、きっと逆の方向へ行っていたと思います。ですから、その点は本当にありがたかったですね。

 そして「ちゃんとしたご家庭だったら将来のことを考えて、そこまで娘の好きなようにはさせないのではないかしら」と言っていましたが(笑)、とにかくバレエが好きで好きで、踊りたくて…。その思いだけで走り続けていたような気がします。

17歳で単身イギリス留学へ

 その後私は自宅近くの教室から「松山バレエ団」に移り、先生方の勧めもあって17歳で「ローザンヌ国際バレエコンクール」に挑戦することになりました。

 このコンクールは若手の才能を発掘するもので15~18歳が対象。上位入賞者は海外へバレエ留学ができるシステムになっています。

 そこで私は幸運にも「ローザンヌ賞」を受賞することができ、「英国ロイヤルバレエスクール」に1年間留学することになりました。当時私は17歳。スクールでは最終学年に入ったので、レッスンだけでなく実際の舞台に立つこともできたのです。 

 生徒たちが演じるのは「コール・ド・バレエ(corps de ballet)」。これは例えば、「白鳥の湖」の「白鳥たち」のような群舞を指します。あるいは、動きのないエキストラで舞台に立つこともあります。

 動きがあるときには余裕がありませんが、立っているだけのときは、目の前で憧れのダンサーたちを間近に見ることができるわけです。「こうやって踊るのか!」と、毎日毎日、とても勉強になりました。

 世界一流の方たちと同じ舞台に立って、じっとその踊りを見ていられるというのは素晴らしい体験で、当時の私にとって、本当に夢のような毎日でした。

スカウト、そしてプロデビュー

バーミンガム・ロイヤル・バレエ団在籍時代 世界ツアー

バーミンガム・ロイヤル・バレエ団在籍時代 世界ツアー

 留学は1年で終わるはずでしたが、幸運にも舞台監督にスカウトされ「サドラーズウェルズ(現バーミンガム)・ロイヤルバレエ団」に入団、私はプロのバレエダンサーへの第一歩を踏み出すことになりました。

 両親は帰ってきてほしかったと思います。でも私には一切そういう感情を見せずに、私のことを考えてくれて「貴重なチャンスなのだからあと1年間だけやってみたらどう?やってみて、それでもやっぱり日本が恋しかったら、そのとき帰ってきても全然遅くないし、いつでも帰ってこられるのだから」と言ってくれました。

 留学生活は楽しく素晴らしい体験もたくさんありましたが、ホームシックにもたびたび襲われました。ぜいたくな悩みですけれど、「日本に帰りたい、でもプロとして踊れるならイギリスで踊りたい…」という気持ちの間で揺れました。でも、背中を押してくれた両親や先生の言葉で、すごく頑張ろうという気持ちになりました。

 ただそのときは、その後20年もイギリスでバレエを続けられるとは思っていませんでしたけれど。

厳しいバレエの世界で

2011年10月「コッペリア」にて。来日したピータ・ーライト卿と

2011年10月「コッペリア」にて。来日したピータ・ーライト卿と

 留学からわずか5年でプリンシパル(バレエ団のトップダンサー)になれたのは、最初に私に声をかけてくださった芸術監督・ピーター・ライトさんとの出会いが大きかったですね。

 そのころは、まだ東洋人はなかなかトップクラスのバレエ団に入れないという状況でした。また、当時はビザが下りず、日本のパスポートを持っている時点でもうプロになることはできないようなものでした。

 その不可能を可能にしてくれたのがピーターさんでした。そして、そのころからだんだん外国人に対しても門戸が開かれるようになっていったのです。

2013年「スコッチ・シンフォニー」©長谷川清徳

2013年「スコッチ・シンフォニー」©長谷川清徳

 外国人だからということで特に苦労したことはありませんでしたが、もともとクラシックバレエはヨーロッパで生まれたもの。中でもイギリスは、お客さまも批評家も辛口だといわれるように、本当に毎日が戦いでした。常に前のめりで必死に走り続けていないと倒れてしまうような世界なのです。

 もちろんイギリスは大好きですし、バレエダンサーにとって最高の環境が用意されています。でも、振り返ってみると、かなり肩に力が入っていたと思います。

 2010年に「ロイヤルバレエ団」を離れ、現在はフリーランスのバレリーナとして活動していますが、日本に帰ってきて、本当にホッとしています。やはり自分の国はいいですね(笑)。

全ての芸術が舞台の刺激に

現在、ソシエにてバレエエステを監修

現在、ソシエにてバレエエステを監修

 現在は「国連UNHCR協会国連難民親善アーティスト」としてチャリティー公演をしたり、機会があればイベントに参加したりするなど、できる範囲ではありますが、舞台以外の活動もしています。

 また、最近はワークショップなどで若い人たちにバレエを教えることもあります。これからは次の世代に伝える機会も増えていくと思いますが、今はまず自分のバレエに集中していきたいと思っています。

 日本に帰ってきてからは、いろいろな舞台芸術を見に行く機会が増えてうれしいですね。歌舞伎や浄瑠璃、宝塚にオペラ…。全てがバレエの刺激になります。

吉田 都さん

 若いときから勉強できていたらもっとよかったのでしょうけれど、イギリス時代は舞台の数も多くスケジュールがタイトなために、なかなかそういう機会が取れませんでした。

 バレエは体力の部分と人生経験や表現力をピタッと合わせるのが、なかなか難しいもの。若いころは元気があるので、力任せというか、勢いはあるけれど、踊りに深みが出てこない。これからは毎日のお稽古でしっかりした体をつくりながら、いろいろな分野のアートにも触れて、インプットの方もしっかりやっていきたいと思っています。 

 そして多くの素晴らしいダンサーのように、人生経験に裏打ちされた「自分の踊り」を表現していきたいですね。


(東京都港区の事務所にて取材)



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