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288号 注目の人 シンガーソングライター/五輪 真弓さん

私にとって音楽は自分を飛躍させるもの。不死鳥のように、どこまでも飛んでいきたい。
五輪 真弓/シンガーソングライター
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五輪 真弓/シンガーソングライター
1951年東京都生まれ。72年10月、全編LA録音によるアルバム『少女』でデビュー。80年にリリースされたシングル『恋人よ』が、日本国内でメガヒットを記録。同年の日本レコード大賞金賞を受賞し、日本のニューミュージック界を代表する女性アーティストとなった。結婚と出産を経た85年以降は、インドネシア・中国などアジア各国での活動も増えるようになる。2012年、デビュー40周年を迎え、テレビ・ライブ出演を中心に、精力的な活動を続けている。代表曲は『恋人よ』『心の友』『時の流れに~鳥になれ~』など。デビュー40周年記念シングル『BORN AGAIN』は7月24日発売予定。


子ども時代の思い出は神社の境内から見た美しい夕焼け

14歳 中学時代の遠足にて

14歳 中学時代の遠足にて

 子どものころは外で遊ぶことが多かったですね。両親が共稼ぎで母親がいつもいなくて、兄姉が鍵を持っていたので、誰か戻ってこないと家に入れないんです。それで近所の子どもたちとなわとびしたり、缶蹴りしたりしながら待っていたの。


 好奇心が旺盛で、面白いものを見つけると、どんどん追いかけていっちゃう。何を追いかけたのか、気がついたら、全然知らない町にきていたこともありました(笑)。


 住んでいたのは中野区ですけど、まだ自然がたくさんあって、小川が流れていて、男の子なんかはそこでザリガニを取ったりしていましたね。野原に花がいっぱい咲いていて、草がボウボウで(笑)。思い出すのはそんな光景です。


 特に忘れられないのは空の景色。夕焼けが大好きで、友達がみんな家に帰った後も、一人で夕焼けを眺めていました。お気に入りの場所は小さな稲荷神社の境内なんですが、丘の上で見晴らしがよくて、まわりにまだ建物がほとんどなくて。


 人も街も時とともに変わってしまったけれど、今でも夕焼けを見ると、子ども時代に味わった全てのものから解き放たれたような自由な感覚に戻ることがあります。

家の中はいつもリフォーム中だった

 すごかったですね(笑)。自分の家がいつも寒かったイメージがあります。何しろずっと改築状態で、当時はまだ珍しい2階建ての新築をせっかく手に入れたのに、父は満足していなかったみたいなんです。夜になって大工仕事を始めるのでなかなかはかどらなくて、あるときは屋根がなく、あるときは階段がなく、あるときは壁が全部なく。しまいには家の四隅をジャッキで持ち上げていました。


 素人なのによくやったなと思いますけど、忍者屋敷のようで子ども心に恥ずかしかった覚えがありますね。


 そんな条件下では、普通なら起こりえないことも起こります。あるとき、2階で兄姉と遊んでいたら、急に床が抜けてそのまま下に落ちたんです!


 それでもまわりの家は全て平屋だったから、他の家より太陽や星が近いのがうれしかった。忘れられない光景その二は、北側の小さな窓を開けるといつもきらめいていた大粒の北極星です。

音楽づくりの根底にある日本の音風景

 父が音楽好きで、趣味でバイオリンを弾いていたんです。長崎県五島列島の出身で、向こうでは地域の楽団に入ってたまに演奏していたみたい。


 うちにもいろんな楽器やレコードがありました。初めて触った楽器は家にあったギター。ラジオもよくかかっていましたね。古い歌謡曲、古賀メロディ、身近にいつも音楽がありました。夏の夜は浪曲がとても気持ちよくてね。あれはいい子守唄でした(笑)。


 そういう小さいときに聴いていた音楽が自分の音楽づくりの根底にあるとは思いますね。日本人的な感覚はどこかゆずれないものがある。それは言葉にも表れているし、メロディにも表れていると思います。

渋谷のジャンジャンで歌い始めた18歳のころ

18歳 自宅付近にて

18歳 自宅付近にて

 純粋に歌が好きで、歌手になるなんて予測していなかったですね。高校を卒業してすぐ、英語の専門学校に進みました。でも、それは高校の延長みたいな感じで、私って、わりと集団行動が苦手でなんか外れちゃうんです(笑)。それで息苦しくなって半年後に学校を辞め、ギターの弾き語りを始めました。

 

 最初は銀座や新宿で歌える場所を探して、歌声喫茶のようなところで小さなステージのわびしいライトを浴びながら(笑)。でも、アルバイトにはなりました。


 そしてその後、一世風靡していた渋谷のジャンジャンのオーディションを受けたんです。あそこは当時の私たちにとってパリのオランピア劇場(ミュージックホール)みたいなところで、憧れの舞台だった。そこで合格して、音楽活動がスタートしたんです。


 そのころはジョーン・バエズの『ドンナ・ドンナ』や『朝日のあたる家』、PPM(ピーター・ポール&マリー)の曲などポピュラーな英語の歌を歌っていました。


 まだ歌の中に自分自身を投影してはいなくて、いくつかのレコード会社から話はありましたが、結局は断ったんです。と言えば聞こえはいいけど、要は若かったので、すごく警戒心が強かったんですよ。だまされるんじゃないかって(笑)。非常に用心深い性格だったんですね。


 しかも自分がオリジナルを持っているわけでもなく、ただ人の歌を歌っているだけだったから、自信がなかったのかも。だからといって、誰かに書いてもらう必然性もない。とても中途半端だったんだと思います。

デビュー曲『少女』はフォークでもなく、歌謡曲でもない真弓の歌

19歳 レコーディングスタジオにて

19歳 レコーディングスタジオにて

 でも、あるときやっぱり自分の言葉で歌いたいと思うようになったんですね。自分のまわりでいろんな人たちが個性的な歌をつくってヒットさせていたこともあって、自分も何かできるんじゃないかと。


 いわゆるフォークの素朴な感じでもなく、歌謡曲でもなく、カテゴリーにはない独特の世界観の歌ができ上がりました。それがデビュー曲の『少女』です。


 あれは自分の体験。大人になる無念さを歌った曲なの。子ども時代は二度と帰れないかけがえのないものだったから。そこから、あの内面的で私小説のような歌ができたんです。


 ところが、いざレコードデビューして、落ち込みました。レコーディングシンガーになって、それまでのような自由がきかなくなって、自分のペースを崩されてしまった状況を自分自身が理解できなかったのかもしれません。有名になりたくて、ヒットを出したくて、レコーディングしたわけではなかったから。


 表向きは華やかに「キャロル・キングをバックにアメリカでレコーディングした和製キャロル・キング!」なんて宣伝文句になっていたけど、実際の歌の中身はとてもささやかな私的なもので、当時はそのギャップがすごくありましたね。そうした生活になじむには少し時間がかかりました。

名曲『恋人よ』曲が持っている力で国境を超えた!

20歳 バックステージにて

20歳 バックステージにて

 自分のつくった作品はそれぞれ自分にとっての転機になっていますが、『恋人よ』は代表曲になりましたから、やはりずいぶん影響を受けました。


 曲をつくるのは自分だけど、楽曲って最終的にはアレンジャーの感性に委ねることになるんです。スタジオに入って、初めてその音を聴いたとき、まるで映画音楽のようなストリングスの壮大かつ表現力豊かな音色が聴こえてきて、「これは何?」と思いました。かつて聴いたことがない、魂が震えるような感覚があったんですね。


 その後、この曲は独り歩きを始めて次々と国境を超え、中国、香港、韓国、マレーシア、シンガポール、インドネシアとアジア各国に広がりました。
 それは曲自身が持つ力。自分が行ってもいないのに有名になっちゃって、初めて香港のステージを踏んだときは、「憧れの人がきた!」みたいな、みんな目をキラキラさせて私の歌を聴いてくれて。でも、外国へ行って何かしら力を与えられるなんて考えたことなかったから、私自身もこの曲に大きな勇気をもらいました。



何気ない日常から詞が浮かんでくる

23歳 1974年アルバム『冬ざれた街』より

23歳 1974年アルバム『冬ざれた街』より

 詞が先か、曲が先かと問われれば、私の場合は詞が先にでき上がることが多いですね。


 詞が浮かぶのは何気ない日常からです。ちょっとした印象的な場面とか、刺激があったときとか。


 でも、詞が完成するまでには時差があるんです。感動、感激、驚き、悲しみといった感情の体験をして、しばらくして自分が冷静に、ニュートラルになったときにふっと言葉が出てくるんです。


 書くものは何でもいい。レシートの裏とか、新聞やチラシの余白に書くとか(笑)。そういうものを書き溜めておいて、ある時期がきたらふくらませて曲を完成させます。


 自然からインスピレーションをもらうことは多いかな。やはり小さいとき自然とともに育ってきたので。子どもを持ってからはよりそういった傾向になりましたね。それから「命」というものを考えるようになった。


 悲しみの歌、恋の歌は、遠い昔の自分が書くもので、結婚したらもう恋は終わり(笑)。母親になったとき、人間の再スタートだと思いましたね。私の腕の中にある、小さく真新しい命をどうやって育てていくか。


 『時の流れに~鳥になれ~』を書いたのもちょうどそんなことを思っていた時期です。東の空に昇るまばゆい太陽の光を受けて、今飛び立とうとする小さい命の希望に満ちた心境が歌になりました。

今年デビュー40周年 最新曲は『BORN AGAIN』

 この曲は、数年前にほとんどでき上がっていた曲です。最初の「命はどこに旅立つのか この身が風に散っても 愛した心はどこへゆく」という歌詞が核で、そこからだんだんふくらませて、昨年、最終的に仕上がったもの。けっこう長くかかっちゃった(笑)。


 書きながら思ったのは、人間は思い出とともに生きていて、何をしていてもいつの間にか昔のことを思い出したり、古い自分が顔を出したりしてしまう。


 そんな日常の中で朝目覚めたとき、もし赤ちゃんのように新しい自分であれたなら、どれほどの力を蓄えたまま1日を生きられるだろうかと思う。そして、人間って本来そういう生き方ができるのではないか…と。


 CD化した段階で曲は自分だけのものではなくなってしまうけど、そんな想いが伝わればいいと思います。

自分の音楽で行けるところまで行きたい

五輪 真弓さん

 私にとって音楽とは、自分自身を大きく飛躍させてくれるものです。それこそ鳥の翼のように。私ね、人間が持つ可能性って無限だと思うんですよ。今生でどこまで行けるか分からないけど、行けるところまで行きたいと思いますね。


 そして、「愛」とは無償のものであり、悲しみと共に生きるより、そんな愛と共に生きる方がずっと楽だということを伝えていきたい。

 

 



(東京都渋谷区収録楽屋にて取材)


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