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276号 注目の人 女優/冨士 眞奈美さん

大雑把に四捨五入の考え方で、自分をラクにするの
冨士 眞奈美/女優
Profile

冨士 眞奈美/女優
1月15日生まれ。静岡県立三島北高等学校卒業。1957年、NHK専属女優となり、『この瞳』(内村直也作)でデビュー。俳優座養成所第9期生として3年間、演技の基礎を学ぶ。1974年、結婚、一女をもうける。女優業を休業、文筆業に専念。1984年、離婚、女優業復帰。趣味はオペラ鑑賞、俳句、相撲・プロ野球観戦など。2008年より『俳壇賞』選考委員。


新聞記者の父の影響か選挙速報を聞くのが好きな子どもでした

3歳のころ、父と姉と飛鳥山で

3歳のころ、父と姉と飛鳥山で

 6歳までは東京で育ち、それから18歳までは静岡の三島で暮らしました。私は6人きょうだいの三女、すぐ下が待望の長男で、そこに寵愛が注がれていましたし、私は両親からすると一番いらない子だったんじゃないかしら(笑)。

 父親は修善寺の大地主の息子で、ヒエラルキー社会に対する抵抗、社会に対する正義感が強い青年。学生時代から運動に加担し、田舎では目立った存在だったそう。後に新聞記者になりました。

 母親よりも父親の方が子どもたちに対しては、愛情が深かったように思います。というのも、母方の祖父は、母が生まれてすぐに、家から出て、前から好きだった女性のところに行っちゃったらしいんです。10年前に亡くなった母は、自分を捨てた父親をそれでも、とても慕っていて、父から七五三のときに買ってもらったという螺鈿(らでん)のかんざしを大事に持っていた。ぜいたくには育ってたけど、やはり寂しかったんでしょうね。私から見ると、母はそんな風に満たされなかった分、子どもの愛し方が分からないようにも見えました。

 父と母、2人はお見合い結婚。母は、父がいい男でインテリな上に、酒もタバコもやらないという触れ込みで結婚を決めたのに、ふたを開けてみたら、実は大酒飲みだった。

 両親がデモに参加したり、選挙の応援運動に熱心だったから、私も小さなころからラジオの選挙速報を聞いていました。あのころ一番好きだったのは、ラジオのオリンピック中継と選挙速報(笑)。

 田舎ではまだ、ラジオがとても珍しい時代でしたが、わが家には、祖父手作りの真空管ラジオがあったの。でも、どうしてラジオから声が聞こえるのかが不思議で。きっと、母が朝晩ラジオに食べ物をあげてるんだろうと思ってました(笑)。
 

毎日、むさぼるように小説を読みふけっていた学生時代

 当時はテレビがなく、本棚にぎっしり詰まった本をむさぼるように読んでいました。小学5年のときに読んで夢中になったのが、社会派作家といわれた石川達三の『転落の詩集』。女スリと検事の物語ですごく面白かった。中学生のときは『金色夜叉』を読んで涙し、高校生では『風と共に去りぬ』のレット・バトラーや、『赤と黒』の野心的で美しい主人公、ジュリアン・ソレルに熱を上げた。とにかく毎日夢中で小説を読んだし、あのころにずいぶん漢字を覚えました。子どものころの記憶はしっかり残っていて、今の俳句作りに役立っているんです。

 文学少女だけど、おてんばでもありました。晴れたら、刈入れが済んだ後の田んぼで野球をし、ビー玉遊びにめんこ。男の子と遊んだ方が面白かった。スリルのある遊びが好きで、崖から飛び降り比べなんていう遊びもやってましたね。

中学のときに出会ったオペラが私の人生を定めてくれた

NHK専属女優だった20歳のころ

NHK専属女優だった20歳のころ

 中学2年のときの音楽の先生との出会い、これが私の人生に大きな影響を与えました。

 東京から来たこの先生は、朝からお酒の匂いをぷんぷんさせて学校に来るんです。噂では、将来を嘱望されていたテノール歌手で、挫折して伊豆半島の小さな村に流れてきたとか。

 もう完全に自分の趣味なんだけど、授業では蓄音機でオペラを聴かせてくれて。私は、プッチーニの『トスカ』のアリアが大のお気に入り。主役のカヴァラドッシが、処刑される未明に、恋人のトスカのことを思ってアリア『星は光りぬ』を歌う。この場面がとりわけ好きで、それまでNHKのラジオ歌謡しか聴いたことがなかったから、すごく衝撃を受けました。

 進んだ先の高校の音楽の先生は、芸大出身のソプラノ専科。オペラ好きの私をかわいがってくれて、これを写譜しなさいと、音楽部の生徒たちにオペラのアリアの譜面を貸してくださったの。『椿姫』や『蝶々夫人』。歌詞に読み仮名を振って、そこにイラストも添え、自分だけの譜面をこしらえて、その曲を一生懸命覚えました。

 女優になれたのは、このオペラ好きのおかげ。

 姉の後押しで、高校のときに劇団民藝のオーディション、さらにその流れでNHKのオーディションを受けました。芝居なんか全くやったこともなかったけれど、オーディションの場で「趣味/オペラ」と書いていたのを目にした審査員の先生に「君、オペラを歌えるの?」と聞かれ、『蝶々夫人』を歌ったの。そうしたら、面白い、自分がこの子にかけてみたいからと、関係者たちの反対を押し切り抜擢してくださった。こうして、NHKの専属女優第1号になったんです。

 

大山のぶ代とルームシェアしていたNHK専属女優時代

大映映画『切られ与三郎』で市川雷蔵さんと共演

大映映画『切られ与三郎』で市川雷蔵さんと共演

 早速、連続ドラマ『この瞳』の主役に決まり、そこからトントン拍子で女優の道を歩むことに。

 でもそこから3年半の間、お給料がたったの1万5000円。家賃が8000円だったから残ったお金でのやり繰りが苦しくて、着るものも毎日同じもの。最初のドラマで共演した大山のぶ代と、2年ほどルームシェアしてたんですが、電話もお風呂もない狭い部屋でした。

 20歳のころに資生堂の専属モデルとなり、ようやく暮らしが豊かに。

 今までの貧乏暮らしの反動かしら(笑)、少し広い家に移り、コロナという当時人気の車を買って運転手さんを頼んで、と一通り女優らしい暮らしを楽しみました。でも、田舎からきょうだいたちがよく遊びにきて泊まっていったり、誰かしらがいつも居て、共同生活という感じは以前とあまり変わらなかったかもしれない。

 

毎日飲み歩き、貯金もまったくなし

資生堂の専属モデルだったころ。『花椿』の表紙

資生堂の専属モデルだったころ。『花椿』の表紙

 女優という仕事に執着はなかったし、いつでもやめられると思っていました。でも、そのころに父が亡くなり、この仕事で一家を支えていかなきゃと気持ちが定まった。だからといって悲壮な決意でもなかったし、苦労して女優をやってきたという意識は全くないですね。私って大らかで大雑把なタイプだと思うんだけど、これは伊豆の気質かも。とことん考えるのはきらい。大まかに四捨五入的考え方で、自分をラクにしたいんです。

 そんな大らか気質ゆえか、貯金もありませんでした。飲んで使っちゃったんだわ、きっと(笑)。昔は毎日飲んでいたし、相当強かった。毎日天井がぐるぐる回るほど飲み、その上家に帰っても飲んでた。お酒の強さは、父親譲りかもしれません。

 今は、まったく飲みたいという気が起きないの。もう一生分飲んで酒量のキャパを超えちゃったのね。

俳句は、すごく面白い「ひとり遊び」

 俳句を作っているとき、母親がやってくれていたことを思い出すんです。あかぎれだらけの母の手や、毎月替える床の間の掛け軸。そうした幼いころの記憶があるから、今こうして俳句を作れているのかもしれません。

 昔の女性は本当に働き者でしたね。掃除はほうきで隅まで掃いて、雑巾がけ。晦日の30日は餅をつき、31日はおそばを打って、元旦は若水を汲み、お屠蘇を飲む。ひな祭りやこどもの日、十五夜。年中行事もきちんきちんと準備して迎えていました。

 元旦は子どもたちの枕元にちゃんと晴れ着を置いてくれていたし、父のお給料だけで家族8人の生活をよくやり繰りしていたなあ、と。今思うと感心します。

 俳句を始めたきっかけは、俳人の中村汀女さんがテレビ句会という番組に出演なさって、谷川俊太郎さん、黛敏郎さんらとともに、そこに呼んでいただいたの。短歌は作っていたけれど、俳句の経験はなく、初めての俳句作りはとっても面白かったんです。汀女先生から筋がいいとほめていただき、それが成長剤になったんです。そこから俳句に目覚めました。

 俳句の魅力は、五七五で言い切ること。言葉を選び推敲しながら俳句をものす夜中の数時間は、とことん考える時間。ひとつのことをこんなに集中して考えることって、人生でそうそうないことだと思うし、すごく面白いひとり遊びだなと思える。苦吟するときもあれば、単純な言葉が頭にすいっと浮かび、どうしてこんな言葉が出てきたんだろうと、自分でも不思議に思ったり。

 わが家は全国からおいしいものをたくさん頂きますが、俳句つながりの人が届けてくださることが多いんです。俳句をやる人って、同じ血が流れている感じがします。感性を共にする同士という感じで、互助精神があるの。句会の仲間は、舞台も必ず皆で来てくれます。

 今はすっかりメールやネットの社会になったけれど、そこから離れた世界、関係性だと思います。

子どもを持ち「自分が欲しかったのはこの重みだ」と思えた

娘(2歳)と自宅にて

娘(2歳)と自宅にて

 あるとき、大先輩の山岡久乃さんが、こんな話をしてくれたの。山岡さんの妹さんに赤ちゃんが生まれ、その子を病院で抱いた。そのときにこう思ったんです。「私が欲しかったのは、女優としての名声ではなくて、この重みだったんだわ。でも、もう取り返しがつかない、そう思ったら泣けちゃった」。この話を聞いて、にわかに私のお尻に火がつきました。女優の仕事は欲を出すと、きりがない、やめられない。ちょうど同世代の女優さんたちも出産ラッシュの時期でしたし、私もばたばたとお仕事にけりをつけて結婚を決め、37歳で出産。それで10年間、子育てに専念しました。

 昔スタイルの〝ねんねこバッテン〟でおぶい、2歳半まで母乳で育てました。PTA役員も務め、根が真面目だから、子育ても手抜きなし。本当に大変でした。でも、乳飲み子に起こされ眠れないままに、アンナ・カレーニナや、レイモンド・チャンドラーなど、昔読んだ本を読み返すと、また昔とは印象が違うの。フィリップ・マーロウのいい男ぶりにあらためてうっとりしちゃったり。そうこうしているうちに、窓から白々とした朝の光が差し込んでくる。

 毎日眠いし大変だったけれど、あの時期は充実していました。山岡さんがおっしゃった通り、私が待ってたのはこの重みだ、そんな実感がありました。きっと、若いときにちゃんと遊んでたのが良かったのかも(笑)。

スポーツ中継は録画しない。必ずライブで観ています

親友2人(故・岸田さん、吉行さん)と娘と行った、ハワイ島での1枚

親友2人(故・岸田さん、吉行さん)と娘と行った、ハワイ島での1枚

 好きなものは、オペラと俳句と野球。子どものころからの趣味が全く変わってませんね。野球に限らずスポーツ全般が好きで、とにかくあのライブ感がたまらない。だからオリンピック中継も録画はせず、全てライブで視聴しています。

 水泳の岩崎恭子ちゃんの金メダル、なでしこジャパンの全試合、リアルタイムで全部見ました。今、自分が過ごしているその同じ時間に、彼らも緊張して勝負に臨んでいるのかと思うと、胸が躍るんです。彼らは過酷な練習を積み、勝負の瞬間を迎える。とてもスリリングだし、そんなアスリートの姿を見られることはすごくありがたい頂き物。「生」を実感します。だから、オリンピックの時期は毎晩寝不足で、よろよろしながら街を歩いてるの。私の人生からスポーツがなくなっちゃったら退屈だろうな、と思います。

 最近、バラエティ番組の仕事も多いのですが、出演してみたら結構熾烈な世界だし、台詞がちゃんと決まっているドラマより、ずっと難しいなと思う。レスポンスが1秒でも遅れたら発言のタイミングがなくなっちゃうわけでしょ。

 この瞬発力、勝負のスリルが、とにかく楽しい。細胞が若返る感じで、このスリル感はスポーツ観戦と同じね。

娘や他人に迷惑をかけないよう自己管理をしっかり

冨士 眞奈美さん

 今後の抱負は、身体の自己管理をしっかりやること。歳を取ってから娘や他人に迷惑をかけたくはない。でもまあ、何とかなるさという気持ちもあるし、そういう大雑把な性格には自分でも救われているところはあります。

 仕事も欲を持たず、あくせくしないで、その時々で自分の精神状況や肉体に合わせて楽しみたいですね。
(東京・市ヶ谷にて取材)


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