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263号 注目の人 プロデューサー/石井 ふく子さん

「84歳の今も現役プロデューサー。『人に恵まれる日』に生んでくれた母に感謝です」
石井 ふく子/プロデューサー
Profile

石井 ふく子/プロデューサー家
1926年、東京下谷生まれ。新派の俳優・伊志井寛を父に持つ。
1950年、日本電建宣伝部に入社。1961年、TBSにプロデューサーとして入社。長寿番組となった『東芝日曜劇場』を手掛け、ドラマづくりに独特の才能を発揮。
受賞歴は、菊田一夫演劇賞特別賞、名古屋演劇ペンクラブ賞、紫綬褒章、ほか多数。
4月 14日(木)~4月27日(水)、大阪松竹座にて、演出・衣裳を手掛けた新派喜劇『三婆』を公演。出演は水谷八重子、波乃久里子、朝丘雪路ほか。問い合わせは電話06-6214-2211大阪松竹座まで。


「元気な」三婆を演出できるなら、と引き受けた今回の舞台

石井 ふく子

 今回『三婆』演出のお話を松竹からいただいた際、一度はお断りしたんです。以前に観たときは、歳を取ることの楽しさが感じられない、私にとってはどちらかといえば暗い印象の方が残る舞台でした。そうお伝えしたら、「では、石井さんのお考えになる“平成の三婆”を新たにおつくりください」とおっしゃっていただいた。その言葉を受けて、原作者の有吉佐和子さんのご遺族の了解も得て、脚本から大幅に変えました。今回新しい登場人物も投入しましたし、そうすることで、より話に広がりをもたせられたと思います。

 とにかく“元気な女たち”が描きたかった。他人同士が一緒に住むなんて大変なこと。本妻、妾、小姑、この3人の女たちが本音を出してぶつかり合い、大いにケンカし合いながら向き合っていく、これこそが大切だと思いました。私が伝えたかった部分がきちんと出せた舞台になったと思います。

 あらためて今の日本を考えると、他人同士が一緒に暮らすことは特別なことではなく、実際になされています。グループホームやシェアハウスがそうですね。そうした現状を踏まえてこの舞台を観ていただくと、今後の人生の参考にもなるかもしれません(笑)。

人に恵まれる子に、そんな強い願いを持ち危険を冒して私を産んでくれた母

母の弟たちと一緒に

母の弟たちと一緒に

父伊志井寛とひな祭りを楽しむ

父伊志井寛とひな祭りを楽しむ

 義父は、新派の名優・伊志井寛。母は分川本の君鶴と呼ばれた売れっ子芸者で、小唄の家元となった三升延。  周囲の反対にあったせいで、母は未婚のまま私を出産し、女手ひとつで祖母と私の暮らしを支えてくれました。私の誕生日は9月1日ですが、この日に生まれると人に恵まれて育つといわれています。それを知った母は、出産予定日より半月以上も前のその日に私を産むのだと決め、その意志を通して、危険な帝王切開手術を受け出産しました。それというのも、母は自由奔放な人で、母親となっても自分は自分のために人生を生きるだろう、そんな母が子どもにできることは、最上の日に産んでやることしかない、と。

 確かにその言葉通り、自由に生きた女性でしたし、そうした部分が娘の私から見てもとってもチャーミング、かわいくてユニークな人でもありました。例えば、通帳も印鑑も持たず銀行へ行き、行員に「ちょうだい」と。困った行員から家に電話がきたりしていましたね。

興味があるのは踊りだけ。とにかく学校嫌いのいたずらっ子

5歳のころ 母と

5歳のころ 母と
 

踊りの発表会にて「傀儡師(かいらいし)」を踊る

踊りの発表会にて
「傀儡師(かいらいし)」を踊る

 幼いころは、踊りに夢中でした。芸者だった母のおかげで、踊りや小唄の世界には幼少からなじみがあり、3歳から習い始めた踊りのお稽古が楽しくてしょうがなかった。半面、学校は大嫌いでした。行きたくなさに朝は本当に具合が悪くなってしまうのですが、教育熱心な部分もあった母はそれを許さない。ぐずぐずと学校に出掛けようとしない私を追い立てるように、ものすごい剣幕で家から学校まで、裸足のまま私を追いかけてくる。それで私が校門に入るのを見届けてから帰っていく。しかし、ようやく学校に行っても、おとなしくはしていない(笑)。しょっちゅういたずらしては、廊下に立たされるのですが、そうなるとかえってしめたもの。そのまま屋上に上がって学校の向かいにある踊りのお師匠さんのお稽古場を眺め、いつの間にかそちらにちゃっかりと行ってしまっている。そんな日々でした。

自由な校風になじめなかった女学校時代

 でも、そんな大好きな踊りの道に進むことは、結局断念せざるを得ませんでした。13歳のときにかっけを患い、かかとが下につかなくなったのです。もちろん踊れなくなり、この治療に1~2年かかりました。

 かっけの治療中、親戚のつてをたどって、お茶の水の文化学院に入学。自由な校風の学校で、先輩には高峰秀子さんが、先生には与謝野晶子さんがいらっしゃいました。私はこの自由さがどうも合わず、ほかの学生が自由な服で登校する中、1人だけ、制服と自分で決めたものを着て通いました。この後、家を引っ越した関係で別の学校に編入するのですが、この女学校時代に、戦争を体験しました。一旦家族で山形に疎開した後、19歳で終戦。東京に戻ることになりました。

長谷川一夫さんの自宅に、親子3人で居候

 そのころ、母は新派の名優と呼ばれた伊志井寛と一緒に暮らしていました。疎開したのもこの義父と一緒。3人で帰京しましたが、空襲で元の家は焼け、住む家が見つからない。そんな折、父母が新宿で、父の友人である長谷川一夫さんと偶然再会。そんな事情なら家に来て一緒に住めばいい、とおっしゃってくださったのです。

 ようやく生活が落ち着き、私も就職先を探しましたが、容易には見つからない。そんな折に長谷川のおじさまが、「新東宝でニューフェイスを募集している、給料ももらえるから受けてみなさい、推薦しておく」と言うので受けてみたら、なんと合格。デビュー作は『大江戸の鬼』という時代劇で、高峰秀子さんの友人の役でした。

 ですが、華やかな世界に自分はどうもなじめず、組合の委員を一生懸命やったせいで体も壊してしまい、結局2年で退社しました。

 ここで出会った方々には忘れられない方がたくさんいます。香川京子さんとは、同じニューフェイス仲間として知り合って仲良くなり、よく2人で旅行しましたし、大女優・原節子さんと同じ映画にも出ることができました。『かけ出し時代』という新聞記者の話で、原さんが婦人記者の役、そしてニューフェイスの私たちはお茶汲みなどの下っ端の役。ご本人はとても気さくで磊落、チャーミング。面白い方でした。

プロデューサーになるきっかけは、会社の宣伝部時代に関わったラジオドラマ

日本電建に勤務のころ

日本電建に勤務のころ

 新東宝を辞めたあとに入った会社が、当時、建売住宅販売で業績をどんどん伸ばしていた、日本電建という会社です。新聞広告をみて応募しました。部長以下社員1人という宣伝部に配属され、スポンサーとして関わっていたTBSのラジオドラマの収録にも立ち会っていました。現場に面白さを感じていた私は、スタジオによく顔を出していましたが、そうこうするうちに、次は何をやりましょうか、とアイデアを求められるように。

 その後テレビが開局になり、しばらくすると、日曜劇場のプロデューサーに、と声が掛かったのです。私はまだ当時、日本電建の社員でしたから、それはできかねるとお断りしたら、TBSの編成局長が直接会社の社長に掛け合われ、社長からは、君の才能はテレビで伸びるかもしれない、会社とテレビの仕事、掛け持ちでやってみろ、とおっしゃっていただいたのです。それから3年間、月~金は会社の仕事、土日はテレビの仕事、と休日返上の掛け持ち仕事を続けました。今思えば休みなしで、我ながらよくやれましたね(笑)。

伝説の高視聴率ドラマ『ありがとう』。主役のチータへの口説き文句は「美人じゃないところがいい」

『東芝日曜劇場』特番出演者と

『東芝日曜劇場』特番出演者と

 結局、日本電建は退社し、それまでのTBS嘱託という身分から、正式に社員になりました。そこから今まで、本当に長いお仕事人生です。

 水前寺清子さん主演のドラマ『ありがとう』は、この“ありがとう”という言葉に触発されて制作しました。当時、こうした感謝の心が希薄になったように思え、この言葉の持つ意味をちゃんと考えてみたかった。主人公は誰に、と思案していたところ目に留まったのが、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの歌手、水前寺さんでした。しかし過密スケジュールをこなしていた彼女とはゆっくり話す時間さえもない。そこで、彼女がお手洗いから出てきたところをつかまえて「ドラマに出てくれないか」と口説いた(笑)。あとから、あのときどうして承知してくれたのと聞くと、大スターだった彼女に「あなたは美人じゃないところがいい」って、7回も連呼したからだ、面白いこと言う方だなって思ったって(笑)。

美空ひばりさんとは父の縁で知り合いました

美空ひばり邸にて

美空ひばり邸にて

 父が俳優、母も花柳界の人間だったおかげで、自宅には、いつもたくさんの芸能人が遊びに来ていました。越路吹雪さんや高峰秀子さんは、母のことを「母ちゃん」と呼んでいましたし、江利チエミさんや美空ひばりさんも、父を慕ってよくいらしてました。ひばりさんとは、父母の死後しばらくご縁が途絶えていましたが、ひばりさんが私に会いたいとおっしゃっていると聞き、ご自宅に伺いました。そのときに、できあがったばかりの曲『川の流れのように』を聞かせていただき、新しく始まる『愛の劇場』のテーマ曲にぴったりだ、と思い、使わせていただくお願いをしたのです。ここから親しくお付き合いさせていただきましたが、ここから亡くなるまでのわずか1年のお付き合い、今思うとあまりに短かったですね。

母が願ったように、人の縁に恵まれました

 水前寺さんのように、違うジャンルの方だったり、まったくの新人の方でも、あ、この人と一緒に仕事をしてみたい、とひらめくことは多いのです。最近でいえば、上戸彩さんも「ひらめいた」女優さんですね。私のことを彼女は「母ちゃん」と呼んでくれるんです。『渡る世間は鬼ばかり』で沢田雅美さんの娘役を演じてもらったのをはじめ、美空ひばりさん17回忌の記念番組でも若き日のひばりさんを演じてもらいました。国民的スター歌手の15歳から20歳までを誰にするかで日々悩んでいましたが、すっかり売れっ子になった彼女をたまたまTBSの番組で見て、あっそうだ彼女しかいない!と。

 面白いもので、プロデューサーになったのは、最初から自分で決めてというわけではなく、周囲から推されてなったようなもの。それが84歳の今も、こうして元気でプロデューサーというお仕事を続けていられる。とてもありがたく、うれしいです。母の願い通り、これからも皆さんのお力を借りて良い作品を作り出せていければ、と思っています。

(TBS局内喫茶室にて取材)


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