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242号 注目の人 タレント/山田 邦子さん

「ソロの歌も好きだけど、合唱のハーモニーが大好きになったのは、病気のおかげですね」
山田 邦子/タレント
Profile

山田 邦子/タレント
昭和35年東京生まれ。
56年、テレビドラマ「野々村病院物語」でデビューし、同時にバラエティー界にもデビューする。
平成19年、健康番組出演がきっかけで乳ガン罹患を発見し、その後はガンについての講演なども精力的に行う。
また20年には、ガン撲滅を目指す芸能人チャリティー組織「スター混声合唱団」を結成し、団長を務めている。
20年に発足した厚生労働省「がんに関する普及啓発懇談会」のメンバー。
NHKラジオ「日曜バラエティー」、NTV「おもいッきりDON!」にレギュラー出演。報知新聞にてコラム「山田邦子 釣りウキウキ」(月2回)を執筆。著書に「大丈夫だよ、がんばろう!」(主婦と生活社)などがある。


ガン友の輪が合唱団になった


1歳。自宅にて


小学校入学。
自宅・親類宅前にて

 まさかの乳ガン発見から2年。合唱団を結成して1年になりますね。きっかけは、聖路加国際病院の日野原重明先生のアドバイスでした。「合唱はいいよ。大きな声で歌ったり笑ったりしてると、ガンなんかやっつけちゃうよ。聴いた人も元気になるし」って。

 いいと思ったらすぐ行動に移すタチなので、「そうかぁ。じゃ、やろう!」と。ガン友で存在感のある人といったら、鳥越俊太郎さんだなと思って。もう、一本釣りです(笑)。すぐに会いに行って「歌えますか」って聞いたら、「僕、学生時代コーラスやってたんだよ」って。

 「日本人は今、2人に1人はガンにかかるんだし、ぜひ、私たちがガンでも明るく元気なところを見てもらいましょう」「いいね」で、スター混声合唱団(通称スタコン)ができちゃった。検診の大切さ、早期発見の大切さを訴えて、ガンに立ち向かう人とその家族を勇気づけようって呼びかけに、芸能界やマスコミからたくさんの人が応じてくださったの。

 乳ガンの先輩である島倉千代子さん、倍賞千恵子さん、音無美紀子さんをはじめ、「親がそうだった」「マネージャーが」「友達が」って、西田ひかるちゃんとか、高嶋政伸くんとか、柏原芳恵ちゃんとか、どんどん入ってくださって。鶴ちゃん(片岡鶴太郎さん)も。

 今、全部で65人。本当に志の高い方ばかりなんです。音無さんは、ご主人の村井国夫さんを連れてきてくれました。患者を支える立場からの「どうやって声を掛けようか、つらかった」というお話にはみんなぐっときました。家族も傷ついちゃってるのね。自分がいけなかったんじゃないかとか思って。うちの主人もすごく勇気づけられたみたい。

 コンサートはまもなく17回目。病院で、ホールで、屋外で、いろんな形でやっています。最初はこんなに長くやるつもりも、しっかりした会にするつもりもなかったんだけど、NHKのニュースまでもが取り上げてくれて、「良かった、ありがとう!」「次はいつですか?」って声がどんどん届いて。

事務局は、団長の携帯とアドレス帳


2008年12月23日
クリスマスコンサートin横浜

 本業のスケジュールだって皆さんギリギリなのに、ボランティアでしょ。撮影が延びちゃってドタキャンなんてこともありますが、それでも皆さん、「練習日はありますか」なんて聞くんです。「練習も見てもらえばいいんだし、お客さまにも歌ってもらえばいいんだから」って言ってるのに、それでも練習したいの。仲間同士すごく結束が良くて、みんな会いたいのね。仕方ないから、夏と冬に合宿。1泊すれば仕事帰りに駆けつけられる人も、そこから出掛けられる人もいるから。

 これだけのメンバーになっても、事務局などはないんです。私の携帯とアドレス帳だけ。正直、誰かに一任したいなって思うときもあるけれど、メンバーそれぞれに合った誘い方もあるから、グループ発信はしません。それに、コンサートの依頼があったら、全国どこであろうと私が場所を見に行って、主催者にも会って判断しています。

 すごく大変だけど、終わった時に、仲間からも患者さんからも、時には家族を亡くした方からも「ありがとう」と言ってもらえる。こんな自分でも役に立っていると思うと、また次も頑張ろうって思います。

 1年たったので、今回初めてサポーターのファンクラブもつくりました。夢は、1万人でも10万人でも受け入れられる合唱団。もちろん、ガン患者は優遇しますけど(笑)。


人生を、そして「今」を考える


1987年突然の坊主頭のころ。
フライデー襲撃事件のために
NTV「スーパージョッキー」の
司会をしている時期

 病気をしてからね、普通に食べてたごはんが、「よくかむと甘いんだな」とか、「桜ってこんなにおいだったんだ」なんて思うんですよ。昇る朝日を見て「今日も1日始まるんだな」と思うと、生まれ変わったような気分。「キャンサーギフト」っていわれてるらしいですね。

 スタッフにお茶を入れてもらってもありがたいし、テレビ局のお弁当だってそう。年間1000食ともなると、以前は何の感動もなかったのが、「ああ、お弁当屋さんていろいろ考えてくれてるんだなあ」って。ちゃんと大人になったというか、働き過ぎてたのかもしれませんけど。

神様に選ばれたメッセンジャー

 2人に1人がかかるんだから、満員電車に乗ってたって半分。芸能人だってもれなくかかります。なのに、テレビや雑誌で取り上げるのは暗いイメージばかり。古い。『余命何カ月、痛みと壮絶に闘いながら』なんてのが大好きなのね。

 今は痛みを取り除く方が長く生きられることも分かってるのに。でも、日本人は我慢するのが美徳だと思ってる人が多い。

 こういう先入観を是正することも言っていきたいですね。乳ガンは早期発見で早期治療すれば99%助かるのに、毎年1万人も亡くなっているんです。女の人は自分のために時間使うの下手ですね。いつも自分は後回し。手遅れにだけは絶対なってほしくない。

 神様がこんなウルサイ私を選んだのも、やっぱり意味があるんでしょうね。2年前には考えもしなかった役目。変な人生になりました(笑)。プロフィールにも「ガン」という文字が入ったわけですから、使命感を持って頑張っています。


 今ではガンにかかわる活動は、芸能活動と同じくらいの比重。ピンクリボンの会や厚労省の委員とか、いろいろ活動しています。こないだなんか、胃ガンのチームがやってきて、「もう乳ガン(の早期発見への啓蒙活動)は潤ったでしょうから」なんてね(笑)。

 相変わらず胃ガンも多いんだそうですね。ピロリ菌さえ駆除できればかなり減るんだから、そういうことも言ってくださいと。「よし分かった」って言ってたら、次は子宮頸ガンの会。欧米では少女期からワクチンで予防できるし、体ガンと違って検診も簡単なんだって。次は大腸ガン。検便で検査できるってこと言ってくださいって。それぞれのチームの人たちは必死で訴えてるのに、みんな検診に行かないのね。

 医師との信頼関係を築く大切さも伝えたいと思っています。医師は誰でも患者を助けようと思ってる。医師は患者を選べないのにね。患者がハシゴしても、病院間で連絡取り合ってくれてる。ありがたいと思います。

 私はしつこいタイプで、カマをかけたりするの。温存手術が大成功で、「ほんとにキレイに切ってあるよね」とほかの医師に言われても、「口裏合わせてんじゃないかしら」とかね。ほかの別の科の医師にも聞いたりして。

 私なんかを患者に持つと、成功しても失敗しても全国でしゃべられちゃうから、先生も大変ですよ(笑)。本当に感謝しています。

“水くさい人”の衣を脱ぐ


1980年、デビュー当時(20歳)

 小さいころは、スパイになりたかったの。なんかおしゃれでカッコイイじゃないですか。スパイ手帳なんて作ってたんですよ。「魚屋と花屋は親せきだけど、昔ケンカして仲悪くなった」「おばあちゃんの引き出しの何段目には何か隠してある」とかね。

 以前の私は結構水くさかったんですね。1人でネタをやる人間ですし、学生時代の部活も水泳だから、自分のタイムとの闘い。チームでやっていく感覚が少し薄かったというか。

 私、成績もまあまあ良かったし、学級委員や生徒会なんかもやってて、いろいろ、まあまあだったらかなり多種なことができちゃう方なんですね。人に頼んでちゃんとやってくれるかなと思うより、自分でチャッチャとやった方が楽。生意気だったんですね。

 でも病気になって、支え合うことの意味が分かりました。ソロの歌も大好きだけど、合唱のハーモニーの素晴らしさが分かったのも病気のおかげですね。

傍らにはずっと薬師如来が

 洞窟みたいな所で修行している夢をよく見るんです。子どものときから。障子を開けると岩なんですけど、テストなのかな。時々ヒントをもらえて、渡された革に石でガリガリ書いてたりすると、障子が開いて、菩薩だか如来だかが現れる。その前で何か言わされるの。前世のデジャビュなのか、お寺が好きなんです。

 治療が一段落して緊張の糸が切れて、正気に戻った時、それまでは毎日のように通ってた病院ですごく大切にされてたのが、「はい、次は半年後」と言われて、急に寂しくて、不安になった。

 そんな時、ちょうど京都の東寺に行く仕事があったんです。そしたらいるじゃないですか。でっかい薬師如来が。「ああ、私はこの如来像にずっと助けてもらえてたんだ。大丈夫、ラッキー!」って思いましたね。

入院を前に人生を棚卸しする


 ものごと何でもため込んじゃいけませんね。ためた水は腐ってしまう。手術前に、いろんなものを処分したんです。トラック1台分。財産だと思ってたデビュー以来の資料や台本、ビデオ、手紙、衣装…。

 それが、捨ててみたら、それらは全部ゴミでした。

 また作ればいいんだし。やってきたことは頭の中に残ってるし、みんなの記憶にも残ってる。もう、すっきり。満杯では新しいものが入らない。すっきりシンプルがいい。食事も粗食を心掛けるようになりました。


 庭の桜の木も切りました。しばらく手が上がらなくなったら切れないから、ご近所迷惑になってもいけないと思って。木に登ると、「ああ、こういう風景が見えるんだ」って発見も新鮮でしたね。

 「桜切る馬鹿」って言葉があって、素人がやると菌が入るんですって。後で植木屋さんが「ずいぶんやっちゃいましたね」とか言いながらきれいにしてくれましたけど。あんなに切っても、ちゃんと満開になるのね。幹から唐突に咲いたりね。何て可憐な生命力なんだろうって感動しました。

“ニュー山田邦子”へのタイミング

 来年でデビュー30年になりますけど、ガンになる前の27年があったからこういう活動ができるんだなってつくづく思います。「ニュー山田邦子」ですね。

 結婚して夫婦間がダラダラし始めたときに病気になるというのも、互いを見つめ直すいい機会になったし、一緒にいられる時間をより大切にできるようになりました。もし主人が病気になったら、今度は私が。結婚していなかったら、病気してもこうはならなかったかも。今のタイミングだからこその、今の活動、今の友達。良かったなと思いますね。

(東京都新宿区の事務所にて取材)



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