Wendy-Net トップページ > Ms Wendy > Back Number > 236号 注目の人 女優/藤原 紀香さん

Ms Wendy

BackNumber

236号 注目の人 女優/藤原 紀香さん

「ミュージカルに初挑戦、ハードル高いけど、燃えてます!」
藤原 紀香/女優
Profile

藤原 紀香/女優
1971年兵庫県生まれ。
92年、ミス日本グランプリ受賞後、阪神・淡路大震災を機に上京。以後女優として活躍。
サッカー・ワールドカップが行われた2002年には日韓親善大使として活躍。
アフガニスタン、カンボジア、東ティモール、バングラデシュなどを訪問し、自ら撮影した写真を公開したチャリティー写真展を全国で展開。
著書に「紀香魂」「紀香バディ!」など。ミュージカル「ドロウジー・シャペロン」の公演は、09年1月5~29日東京日生劇場、2月28日大阪厚生年金会館、ほか長崎、富山、名古屋にて公演。
【衣装協力】ギャンブル フィッシュ 新宿ルミネ店、ロイヤル・アッシャー・ダイヤモンド、ジュネ、rev k shop 南青山店


「ジャネット」はダンサーたちの夢の役


ミュージカル「ドロウジー・シャペロン」のジャネット役

 2009年、私はミュージカル「ドロウジー・シャペロン」の舞台で幕開けです。2006年にブロードウエーで上演されて大ヒットし、トニー賞で五部門を受賞したミュージカルを、今回宮本亜門さんが演出。ミュージカル初挑戦の私が、ブロードウエーの大スター・ジャネット役を演じます。

 ジャネットが富豪の御曹司と恋に落ち、突然結婚・引退宣言したことで巻き起こる大騒動。コメディータッチで、とっても楽しい、愛情いっぱいの素晴らしいミュージカル。

 でも、実はこの役を受けるかどうか、すごく悩みました。何しろ、お客さまの前で歌ったり、アクロバティックに踊ったりなんてしたこともない。そんな私に、宮本亜門さんから直々にオファーがあり、「紀香ちゃんにぴったりの役だから」と。すぐに亜門さんと一緒にニューヨークで観て…。 

 そうしたら、私自身すっかりこのミュージカルにハマってしまったの! マリオットマーキーズ劇場を出たとたん、ジャネットが登場するシーンで歌っていた「SHOW OFF(目立ちたくないの)」を「ラ~ララララ」と思わず口ずさんでいたほど。ジャネットは、女性としてのかわいさをすべて集約しているような、本当に素敵な役。生まれながらの大スターで、天性の華があるんですね。

 舞台が終わって、舞台裏を見せていただいたんですが、「今回、日本版ジャネット役をやるんです」とあいさつすると、スタッフさんたちが仕事の手を止めて「コングラチュレーション!」って拍手してくれたんですよ。ブロードウエーでは、この役を獲得するために血のにじむような努力をして、何回もオーディションに挑む。まさにダンサーたちにとって夢のような役。それぐらい、すごいことだし、実力がないと演じられない役なんだと、あらためて知りました。

 だからこそ、私に声を掛けていただけたのは、本当に幸せなことだと思う反面、私にできるだろうかとホテルの部屋で1人落ち込みました。考え抜いた末、この役を演じるに値する器になるしかないと心を決めました。歌も踊りも磨き上げて頑張ろうと。怖いけど挑戦したい。私はいのしし年なので目標が決まると猪突猛進、ハードルが高いほど、燃えるんです(笑)。




2007年12月「ドロウジー・シャペロン」上演中のブロードウエー・マリオットマーキーズ劇場の前で宮本亜門さんたちと


13歳のころ、家族旅行で海へ!


 早速、ボーカルやダンスのレッスンに加え、理学療法士や整体の先生について、筋肉のつき方とか、自分の体について徹底的に勉強しました。亜門さんの厳命で股割りも泣きながら(笑)努力し、立位体前屈がマイナス20cmから、5cmに進化。ここまで自分の体と向き合ったのは初めてだけど、「あきらめずにやればできるんだ」ってことを証明したいから。今の自分が、今までで1番好きだなって思いたいですね。

 今回、共演陣の方々もベテランの素敵な方ばかりなので、皆さんから勉強させてもらっています。何しろ配役も個性的すぎるほど(笑)。その上、亜門さんの演出はブロードウエーをよりゴージャスにしている感じなので演じる方はもう大変。100分間休憩もないんです。でも、観ていただく方にとっては最高に楽しいミュージカルだと思いますよ 。


「ごんたくれ」だった子ども時代

 実は、3年前に初めて舞台に出たんですが、とてもシリアスな内容だったので、「今度はみんながスキップして笑顔で帰るようなミュージカルをやりたい」と思っていたんです。その願いが叶って、うれしいですね。コメディーは難しいけど大好き。もともと、人を笑わせたり、喜ばせるのが好きなんです。高校時代には落語研究会にも入っていたし。

 思い起こせば、高校時代、すでにミュージカルも2回ほど経験していたんです。ピアノの先生に誘われてミュージカルオブアカデミーに入り、私が演じたのは、白雪姫ではなく王子様(笑)。背も高いし男の子みたいだったから。

 小さいころから、私は明朗、活発なやんちゃ坊主でした。関西弁で言うと「ごんたくれ」。柿の木に登って、上から実を落として弟を泣かせたり、小学生のときから女の子で1人草野球チームにも入っていたし。夜中にくぬぎ林に蜜を塗って、翌朝早くにクワガタを捕りに行ったり、日曜日は父と一緒に魚釣り。練りえさにじゃがいもを蒸かしたのを混ぜると、よく釣れるんですよ。男の子みたいに育てられてましたね。

 でも、さすがに両親もこのままではまずいと思ったのか、中学から大学まで私立の女子校に入れられて。そのころから突然父は厳しくなったんです。門限を守らないと、犬小屋で一晩寝かされたこともありました。

 設計事務所を開いていた父は、昔かたぎでものすごい時代錯誤。母も旧家の生まれで、女は職業なんか持つなと言われて育った人。だから、しつけは本当に厳しかったんです。憧れていた留学もついに許してもらえなかった。その厳しさに当時は反発していたんですが、今は感謝してますね。

阪神・淡路大震災で女優になることを決意


デビュー当時。ドラマの撮影

 芸能界に入ったきっかけは、大学生のときに「ミス日本コンテスト」に母が応募したこと。母は、単にお見合いの「箔付け」になると考えていたらしいんです。母は私よりも背が高くて、若いころダンスホールでも男性に敬遠され結婚は無理だと思っていたんですって。父とははとこ同士でお見合い結婚。だから、私にもお見合いしてほしかったの。

 ところが、コンテストでグランプリを受賞して以来、インタビューやいろんな仕事を受けているうちに、私はだんだん芸能界に興味を持ち始めたんです。もちろん、芸能界なんて両親は大反対。

 そのうちモデルの仕事を始め、東京まで日帰りで通いました。父とは大学の勉強と仕事を完ぺきに両立できたら、芸能界の仕事をやらせてくれるという約束をしたので、絶対やってやるって頑張っていたんです。そのときは、頭に円形ハゲができるぐらい、本当につらかった。


大学1年生のころ

 なんとか1単位も落とさず4年で大学を卒業し、「これなら文句ないでしょ」とばかりに「東京に出たい」と言い出したら、周りは猛反対。家族会議も開かれ、親せき一同集まって「芸能界に入ったらだまされるぞ」とか「東京は怖いところだ」とかもう大変な騒ぎに。

 そんなときに起こったのが、阪神・淡路大震災でした。その日、ちょうど仕事先のハワイから帰国したら、モニターに震災のニュースが流れていて…。パニックで頭の中は真っ白。すぐに実家に向かいましたが、電車も途中までしか動いていなかったので、後は線路づたいに歩き続け、ようやくたどり着きました。幸い、家族は全員無事でしたが、自分が生き残っていることが不思議に感じました。被災地を歩いて、私が目にした地獄のような惨状は、一生忘れることはできないと思います。

 そのとき、人間はいつ死ぬか分からない、それならやり残したことを後悔して死にたくはない。と思ったんです。友達と一緒に薬や水、毛布などをかき集め、母校の体育館などでボランティアに奔走しながら、私は東京に行くことを決意していました。今までは、両親の言う通りにやりたいことも断念してきたけれど、これからは自分自身で夢を実現させていこう、後悔したくないからと。

 私の言葉に、母は「やるだけやってみなさい」と言ってくれました。父は最後まで許してくれませんでしたが、被災から2カ月後、上京する私のために荷物をトラックに載せて、夜通し走ってくれたんです。東京まで約7時間、ずっと無言のまま。でも、その父の優しさは今でも忘れられませんね。

 思えば、私はそれまで自分で洗濯機を回したこともなく、料理もしたことがなかった。親のスネをかじって私立の学校に行かせてもらって。そんな温室育ちの私を1人で東京に出すなんて、父にしたらたまらなかったんだと思います。売れるかどうかも分からないのに。でもだからこそ、私は絶対負けられなかった。意地でも頑張ろうと思ったんです。

ボランティア活動は 続けていきたいことの一つ


 東京に出て数年は、オーディションにも落ちてばかりで、なかなか仕事がもらえない時期もありましたが、ようやく女優の仕事も軌道に乗ってきたころ、2001年に起きたのが、世界を震撼させたアメリカ同時多発テロ。私は、自分にも何かできることをと思い、ニューヨークの子どもたちやアフガニスタンへの支援チャリティーを始めました。でも、ただ資金だけを送っていていいのか? 偏った情報しか流されないことにも疑問を持ち、アフガニスタンに行きたいと思ったんです。自分の目で見たアフガニスタンの現状を伝えたい。それが震災で生き残り、今のこの仕事をしている自分がやれることなんじゃないか、と。

 周りの人から「危険すぎる」と猛反対されながらも、テレビ局に企画を持ち込み、やっと日本テレビのプロデューサーが、番組として取り組んでくれることになったのです。そして、02年の夏、アフガニスタン行きが実現しました。

 帰国後、自分で撮った写真を1冊の本「カンダクゥ  笑顔で」にまとめ、今も全国で写真展をしています。

 写真を見にきてくれた若い人たちからも反響があり、子どもたちがレポートを書いて送ってくれたりするんです。「自分はまだ学校があるけど、何かできることがあるんじゃないかと思った」って空き缶を拾って集めたお金を寄付してくれたり。子どもだってちゃんと伝えれば分かるんですよね。知ることの大切さを知りましたね。  以前、女優のアンジェリーナ・ジョリーさんと話したときに、彼女の姿勢にとても刺激を受けました。彼女は国連に自分で電話をして、カンボジアやさまざまな紛争地にも出掛ける。「やらなきゃって思ったら、動くべきだ」と。私もご縁があり、06年、国連と東ティモールに取材に行ったり、昨年はJHP・学校をつくる会の皆さんとともにカンボジアに念願の学校も建てることができました。昨年は赤十字の広報特使としてバングラデシュにも赴きました。

 こういう活動は、自分へのパワーにもなります。女優という大好きな仕事を全うしつつ、無理をしないで、自分のやれることから少しずつでも続けていきたいなと思っています。

 ボランティアの活動を通して、今まで知らなかった世界の人たちと出会い、私もさらに強くなれた気がします。夢を実現する1番の力は、思いでしょうね。その思いが言葉になり、魂を持って人に伝わる。私は言霊って絶対あると思う。でも、ただやりたいと思ってるだけではダメで、まず自分が動くことが大切。情報を集めたり、何か事を起こす努力をして、自然に周りが動くような波をつくるとか…。

 とにかく、今やるべきことは、初挑戦のミュージカル。大成功目指して頑張らなくちゃね(笑)。

(東京都目黒区のスタジオにて取材)



BackNumber

(無断転載禁ず)