Wendy-Net トップページ > Ms Wendy > Back Number > 234号 注目の人 デザインスタジオ エクスプリム代表 クリエイティブ・ディレクター/マニグリエ 真矢さん

Ms Wendy

BackNumber

234号 注目の人 デザインスタジオ エクスプリム代表 クリエイティブ・ディレクター/マニグリエ 真矢さん

「新しい着物文化を発信するパリジェンヌ
『洋でも和でも、ファッションのスピリットは同じです』」
マニグリエ真矢/デザインスタジオ エクスプリム代表 クリエイティブ・ディレクター
Profile

マニグリエ 真矢/デザインスタジオ エクスプリム代表
 クリエイティブ・ディレクター

1966年生まれ。パリで育つ。
パリ大学で日本語や日本文化を専攻。89年、セゾングループ入社を機に来日。
94年、フリーランスのマルチプロデューサーとして独立。97年にデザインスタジオ(有)「エクスプリム」を起業、代表取締役社長に。
2004年に国外で活躍するフランス人女性として、フランス国元老院院長賞、起業スピリット栄誉賞を受賞。
近年、着物関連の作品プロデュースなど和文化のプロジェクトに力を入れている。
日仏経済交流会文化理事。フランス政府対外貿易顧問委員会委員。著書に『パリジェンヌの着物はじめ』(ダイヤモンド社)。
ブログはwww.maiaiam.com エクスプリムURL www.exprime.co.jp


おしゃれに油断なし!パリ時代に学ぶ


2歳、イスラエルにて

 世界で1番、美しい街。いまでもそう感じているパリで育ちました。住んでいた4区・マレ地区は、パリのハートと言われる場所。パリの歴史と文化の心臓部であり、“心”である街には美術館や大小の劇場、カフェがあちこちにあって、そんな街なかを散歩するのが大好きでしたね。私の一家は外交的な仕事をしてきた関係でいろいろな国での海外生活が長く、家には海外からの知人が頻繁に訪れていました。周囲はいつも世界の刺激的な情報に満ちあふれて、少女だった私の好奇心をたっぷり満たしてくれました。

 わが家は当時でも古風な考えの家で、あらゆるマナーやドレスコード(服装規定)についてかなり厳しくしつけられて。バナナも、ナイフとフォークで食べられるようになって初めて、手で食べることが許されたんですよ。海外生活が長かったものだから余計に、祖国に伝わる文化と伝統を大事に思っていたのかもしれません。



祖母の写真。1939年パリにて

 母はかなりのおしゃれ上手。手持ちのものをうまく利用して自分流にファッションを楽しんでいて、そんな姿に憧れていましたね。ファッションは基本が大切で、その上で自分流に崩していくもの。アクセサリーや帽子、ヘアスタイルひとつで雰囲気を自在に変えられること。ファッションにオリジナリティーと知性を持つこと。これらを母から学びました。

 出身であるリヨン地方の郷土料理が得意だった祖母にも“おしゃれ”を徹底的に鍛えられました。いくつになってもコケティッシュな魅力があった祖母は、いかなるときも「おしゃれに油断なし!」の人。「アフリカの砂漠を横断中、街が近くなるとテントを張らせて着替えとお化粧直し。パリの街でお茶するような姿に変身して砂漠を歩き出した」という伝説の持ち主です。そんな祖母や母に、外出前に服装をチェックしてもらうと必ず、キツ~い“ひと言”が返って来た(笑)。“ファッションに一寸たりとも気を抜くなかれ”。祖母の形見の鏡を玄関に置き、いまでも出掛かけるときに心して覗いています。

美しい帯に一目惚れ。着物に魅せられて


11歳、Mailhan(南仏)にて

 大学では日本語と日本文化を専攻。日本に興味が向いた理由は、私たち一族が訪れたこともない、アジアの未知の国だったから。それに好きな黒澤明監督の映画を字幕なしで観たかったんです。またフランスでは日本アニメもよく放映されていて、親しみもありました。『グレンダイザー』『ガッチャマン』、あと『キャンディ・キャンディ』も! いまでも同世代の日本人と、主題歌を合唱することもありますよ。日本語、フランス語、それぞれの言語でね(笑)。

 そして1989年セゾングループ入社を機に来日し、私の日本生活がスタートしました。仕事は百貨店の催事の企画立案から入り、フランスの海洋療法(タラソテラピー)を日本に初導入する仕事も。その後情報設計など、さまざまなプロジェクトを手掛けるフリーのマルチプロデューサーとして独立。グラフィックデザイナーの主人(岡達也氏)と結婚し、彼とともにデザインとマルチメディアの制作会社を起業しました。起業当時はお金のやり繰りに苦労して。主人の 1000CCのバイクの後ろに乗りたくて、結婚当時主人に「指輪よりヘルメットを!」と希望したのを覚えています(笑)。



16歳、Mailhan(南仏)にて
(右がマニグリエ真矢さん)

 着物との運命的な出合いは6年前。フランス大使館で行われるイベントに着ていく服として、知人の呉服屋さんから着物を勧められたんです。「キモノ?!」と私はビックリ。パリ育ちの私にとって、着物の印象は歌舞伎役者や芸者さん、力士の衣装。着物とは、特別な職業上の“衣装”という認識でした。後に日常に着る素敵な着物を知ったものの、フランス人の私が着たら“仮装”にしかならないはず。だから気に入らなければすぐにドレスに着替えるつもりで、しぶしぶ袖を通すことにしたのです。  かくて、着物初体験の日。想像したよりも苦しくない、心地良い着心地に驚きました。着物を着たときに流れる、ゆったりとした時間。そして会場では皆さんに着物姿をとても喜んでもらえた。自分も、そして周囲も楽しい服。着物の楽しさを初めて味わったのです。

 すると今度は自分自身の着物が欲しくなった。でも、着物選びは難航。数時間かけてお店でいろいろ見せてもらっても、どれもピンと来ない。やっぱり私に似合うものはない。あきらめかけたころ、偶然黒とシルバーのツートンカラーの帯が目に入って。手にした途端「これが、私の帯だ!」。その1本の帯から着物の魅力にとりつかれ、以後凝りに凝るようになったのです。着物の美しい動きをマスターすべく日本舞踊も習い始め、和のマナーとその基本思想を学びました。

 幼少より未知の文化に好奇心がいっぱいで、母や祖母に“おしゃれ”を鍛えられた私。着物という服装に出合ったとき、まさに自分の想像力と創造力を傾ける新しい分野を発見した思いがしたんです。そう、日本の美にパリ育ちのおしゃれ心が刺激されたんですね。

「こんな着物が欲しい!」新しい視点でプロデュース


 仕事でもプライベートでも「これって何?」「何のためにあるの」という視点でよく観察するのが、私の発想の原点。「なぜ」「どうして」を繰り返し追求していくことで、ワクワクする新しい形ができる。洋でも和でもあり、未来的でもあり、どこか懐かしさも感じさせるテイスト。それが私の得意とするところです。

 最近は着物ブームが続き、夏にはよく浴衣が見かけられるようになりました。着物に初めて親しむのに、浴衣はとてもいい気軽な入り口。でもいざ柄を探してみると、一般的なものしか見つからない。私の遊び心が動かされないものばかり…。

 「既製品に気に入るものがないなら、自分で作ってしまえばいいんだ!」

 そうひらめいた私は、呉服屋さんとデザイナーを巻き込み、「月と雁」「睡蓮」「仙人掌」などをモチーフにした新しいタイプのデザインの浴衣を考案し、プロデュース。そして東京・神楽坂のギャラリーでオリジナル新作浴衣展を開催し、皆さんに気軽に体験してもらう場を作りました。

 また、着物の下着にあたる長襦袢のプロデュースにも着手。「着物はあんなに美しいのに、なぜ和装下着は“入院着”みたいなの?!」という疑問がきっかけです。フランスではランジェリーやインナーウエアの文化が成熟していたので、初めて和装下着を見たときはショックで(笑)。


2007年3月 津島神社にて。
2年前から太鼓の稽古をしています

 見えない部分だからこそ、こだわりたい。そんな思いから、3年前に主人らによるデザインのランジェリー感覚の大人っぽい長襦袢作品群を制作。そして『巴里人女将の仮想呉服屋』と銘打ち、私自身が“女将”となって3 日間限りの展示会を開催プロデュースしました。京都の町家の“仮想呉服屋”では、オリジナルの襦袢、羽裏、浴衣、肌着と、私がセレクトしたユニークな小物を発表。反響は大きく、3日間という短い展示期間にも関わらず、熱心に作品に見入る来場者が後を絶ちませんでした。現在も、美しく使い勝手を追求した着物用の紙袋や小物ケースの制作などプロデュースの分野を広げています。

 一方で、『パリジェンヌの着物はじめ』という本を出版。着物の基本をフランス人の私の視点から紐解きながら、既成の概念に縛られない着物の楽しみ方の数々を紹介しました。

 洋でも和でも、おしゃれのスピリットは同じだと思うんですね。ファッションは時代とともに変化するもの。洋服の世界だって、祖母や母の時代とはいまや大きく変わっている。ルールを知った上で、「着物とはこうあるべき」という先入観や既成概念を捨てて、いまを生きる自分に合うおしゃれを作り上げていけばいいのではないでしょうか。

使命は日本とフランス、文化の「通訳」


2007年5月 
エクスプリム第1回展示会場
gallery5610にて

 先年フランスで、国外において活躍する人に贈られる賞をいただき、パリでの授賞式に着物姿で出席しました。受賞者の中で活動している国の民族衣装を着ていったのは私だけ。それほど日本に精通しているのかと感心されましたね。

 私の着物姿を母も喜んでくれましたよ。ただ、着物については知識がなく口出しできなかったので、そこはすごく不満だったみたい(笑)。

 リフレッシュ法は、学生時代から続けている自然の中でのスポーツ。夏には2週間の休暇を取り、ヨットを操っています。日焼けの心配?全然しませんね。日焼けした顔で白い着物を着たときは、さすがに目立ちましたが(笑)。乗馬、カヌー、ダイビングなど学生のころから数多くのスポーツをしてきましたが、都会では養えないセンスをそこで磨いてきたのかもしれません。

 今年で在日19年。これからも日本、フランスそれぞれの文化の良さを紐解く、“通訳”の役目をしていきたい。そんな使命を感じています。最近では「能」を新しい視点で外国人向けに解説する書もプロデュースし、好評を博しました。日本の素晴らしい和文化の数々を、新たにデザインして提供する。日本の方にとっても新鮮に映るのではないでしょうか。  そんなことで目下、私のTo‐Do(やりたいこと)リストは、エンドレス。つまらないときなんて、一瞬もないですよ。

 ファーストネームmaiaに「真矢」という字をあてたのは、“真実の弓矢”という意味に惹かれたから。でも最初は止められましたけどね。「その字は女性には強すぎる!」って(笑)。

(東京都千代田区 事務所で取材)



BackNumber

(無断転載禁ず)