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232号 注目の人 女優/沢口 靖子さん

「女優としての目覚め、演技の怖さも実感…かなり遅いんですが(笑)」
沢口 靖子/女優
Profile

沢口 靖子/女優
大阪府出身。
1984年第1回「東宝シンデレラ」で約3万人の応募者の中からグランプリ受賞。同年「刑事物語3 潮騒の詩」でデビュー。
翌年NHK連続テレビ小説「澪つくし」で全国的に人気を博す。
その後、映画「ゴジラ」「竹取物語」、テレビ「痛快!OL通り」(TBS)、NHK大河ドラマ「秀吉」「新撰組!」、「科捜研の女」(ANB)、舞台「蔵」「細雪」「天保12年のシェイクスピア」など多数好演。
08年「女ひとり ミヤコ蝶々物語」は、10月3 日~26日大阪松竹座、10月29日~11月9日まで名古屋御園座にて公演。


ミヤコ蝶々さんの大舞台にチャレンジ


2歳のころ。自宅の庭にて、当時お気に入りの人形と

 この10月から始まる舞台「女ひとり ミヤコ蝶々物語」で、ミヤコ蝶々さんを演じることになりました。

 私にとっては大変な大役ですし、母にも「そんな難しい役できるの?」と驚かれて、最初はお断りしようと思ったんです。でも、台本を読むと、蝶々さんの表の顔ではなく、日向鈴子という一人の女性の生き方にスポットが当てられていて、それなら同じ女性として演じられるかなと思ってお受けすることにしました。無謀なチャレンジだとは思いつつ(笑)。

 気が強くてわがままで、自分にも人にも厳しかった蝶々さんの表の顔。その反面、気が弱くて泣き虫な日向鈴子。その二人が、蝶々さんの中でいつもせめぎあっていたんです。芸人として大成されたけれども、一人の女性としての幸せを得られない寂しさも胸に抱えていた……そんな蝶々さんの生き様を自分なりに演じられたらと思います。

 私自身も女優としての沢口靖子は気が強くて、いつも決断しながら前に前に進んで行かなければいけないけれど、素の私はのんびり屋でおっとりして、優柔不断なところもある。だから、蝶々さんの気持ちはよく分かる気がしました。

 今回の舞台は、蝶々さんの自叙伝「女ひとり」をもとに構成されているんですが、その脚本を読みながら感動して、何度も泣きましたね。不思議なもので、子どものころから耳に馴染んでいる関西弁が、構えていた気持ちをほぐしてくれ、飾らない自分で脚本と向き合うことができた気がします。

 多くのファンを魅了した蝶々さんを、そのファンの方々の前で演じるというのは、私にとっては大きなプレッシャーですし、久しぶりの舞台なので、体力、精神力を持続するのが大変ですが、お父さん役の西川きよしさん、南都雄二さん役の風間トオルさんたちとの共演も楽しみですね。

大阪で部活に燃えていた学生時代


12歳のころ。縁日の金魚すくい

 蝶々さんは、大阪のイメージがとても強いのですが、意外にも東京・小伝馬町のお生まれ。反対に、大阪の堺で生まれた私は、女優になってから大阪弁のアクセントがなかなか抜けず、とても苦労したんです。

 子どものころの私は、いつも外で走り回っているような活発な女の子でした。3つ年上の兄の後ろについて、ドッジボールをしたり、段ボールで草むらを滑ったり。ごく普通の家庭で、特別教育にうるさい親でもなく、伸び伸びと育てられました。ただ一つ、食べ物に関しては厳しかったですね。嫌いなものを残すと「もう食べなくていいから」と片付けられてしまう。だから、仕方なく食べたんですが、そのおかげで好き嫌いはなくなりました。

 小学校は陸上部に入り、中学、高校はテニス部。町内のポートボール部にも所属して、いつも日に焼けて真っ黒でした。とにかく体を動かすことが大好きだったんです。  高校生のころ、後輩の弟が後援会長になってファンクラブを作ってくれて、試合の応援にもよく来てくれましたね。学生時代はひたすら部活動に燃えていた私にとって、芸能界はまるで雲の上の世界。

 子どものころから習っていた書道が大好きだったので、将来は書道の先生になろうと思っていたんです。まあ、大学に行ったら、アルバイトで雑誌のモデルぐらいはできるかななんて、思っていたぐらい。

オーディションでグランプリ、人生が一転

 ところが、たまたま友達から「東宝シンデレラ」のオーディションがあることを聞き、ごく軽い気持ちで応募したら、なんと合格してしまったんです。そこから運命が一転しました。でも、最終選考に残ったときは、母と一緒にかなり悩みましたね。大学に進学するつもりで受験していたので、近所の人や塾の先生、いろんな人にも相談し、家族会議でも話し合いました。

 父は最初からずっと反対していたんですが、ひそかに本屋さんでオーディション関係の本を読んでいて、「これだけ多くの人がオーディションを目指している中で、ここまで来たんだから、最後までやってみたら」と応援してくれたんです。それでようやく最終選考に臨んだんですが、グランプリを受賞したときは、本当に信じられない気持ちでした。選ばれた喜びよりも、「私にできるのかな」という不安が大きくて。

 デビューが決まり、大阪から東京に出発する日、友達もみんな見送りに来てくれて、新幹線のホームで両親も私も、もう一生会えないんじゃないかっていうぐらい泣きました。母は娘を嫁に出すような気持ちだったらしいんです。 その後、NHK連続テレビ小説「澪つくし」に出演し、父も母も毎朝楽しみに見てくれていたようです。今も、毎週放送される連続ドラマに出演すると、次の放送まで1週間が待ち遠しいって言ってますね。大阪にはなかなか帰れないので、両親にとっては画面で会えるのがうれしい反面、自分の娘が芸能界の遠い存在になってしまったという一抹の寂しさもあるようです。以前、誕生日のメッセージを贈ってくれたんですが、その最後に「ファンの一人より」って書いてあって。両親の気持ちを考えると、何となく複雑な心境でした。

「タンスにゴンゴン」はじけてみました(笑)


高校2年生のころ。校庭にて

 女優として転機になった作品は、盲目の少女を演じた舞台「蔵」と、NHK大河ドラマ「秀吉」。そして、テレビでも舞台でも演じた「お登勢」ですね。

 「蔵」では、造り酒屋の娘烈(れつ)が、病気で目が見えなくなっていく絶望感とか、セリフだけでは補いきれない感情をどう演じるのか、セリフの行間を埋める難しさを感じながら、舞台の回を重ねるごとに役の気持ちを深く掘り下げることができた作品でした。

 また、「秀吉」では、正室おね役を演じたのですが、秀吉役の竹中直人さんがすごく破天荒で、台本からは想像もつかないお芝居をされるんです。私はいつも台本通りに演技するタイプだったんですけど、竹中さんのおかげで初めて役の上で遊ぶ楽しさを教えていただきました。お芝居って、生きているものなんだって。

 この作品で、女優としての殻が破れた気がします。

 そして、「お登勢」では初めて女中さんの役を演じたんです。それまでは、時代劇でも位の高いお姫さま役が多かったので、一庶民の女中さんをどう演じたらいいのか分からなくて。でもそのとき、「そうだ、普段の自分をそのまま出せばいいんだ」って思ったんです。身分にとらわれず、伸び伸びと演じればいいんだって。

 一つ一つ新しい役を演じるたびに、違う発見があって面白いですね。

 それからもう一つ、周りの人からもびっくりされたのが、「タンスにゴンゴン」のCM。パンクロッカーに扮して踊ったり、毒舌を吐く雛人形を演じたり。でも、私自身の中にもともとコミカルな面もあるし、関西人のノリとしては分かる世界なので、ちょっとはじけてみたんですけど(笑)。

女優としての目覚め、演技の怖さも実感

 今年でデビュー25年目を迎えますが、最近ようやく女優としてのあり方が見えてきた気がします。デビューしたころは、とにかく無我夢中でスケジュールをこなすだけで精一杯。女優としての自覚もなく、周りのことも自分自身も見えていない状態でした。恥ずかしいことですが、演技もただ書かれたセリフを覚えてしゃべっていただけ。

 最近やっと、与えられた役をただ演じるのではなく、その人の人生そのものを演じなければという意識に変わりましたね。女優は「人生の表現者」なんだって。そう思うとセリフの読み方も深くなり、演技の仕方も随分変わりました。女優としての目覚めがかなり遅いんですが(笑)。

 でも、演じる面白さが分かってきたと同時に、その責任の重さ、怖さも感じるようになりました。今まで何も考えていなかったのに、ここ数年になって、私は女優に向いているんだろうか、なんてあらためて悩むこともありますね。

 私の場合、演技に迷いがあると全部顔に出てしまうので、現場では監督にもどんどん質問をするようにしています。自分がその場にいる意味を理解できないと、カメラの前にも立てないですから。

 お芝居の勉強といっても特別何をしているわけでもないのですが、なるべく本をたくさん読んだり、DVDでいろんな映画を見たり、お芝居を見に行ったり。また、体力を維持するためにできるだけ歩くように心掛けています。買い物に行くときも、隣の駅まで30分ぐらいなら歩きますね。

 食事もきちんと取り、規則正しい生活が健康のためには1番良いようです。

 最初のころ目標にしていた女優さんは、オードリー・ヘップバーン。「ローマの休日」を見て、すごくショックを受けてから、ずっと憧れの存在でした。最近好きな女優さんは、ジョディ・フォスター。好きな俳優さんのタイプも随分変わってきました。

蝶々さんに学ぶお客さまとの対話術


 最近は、よりリアルな気持ちを表現できる俳優になりたいなと思いますね。飾らず、ありのままの自分で。その方が、見る人の胸を打つと思いますから。そういう意味では、今回、ミヤコ蝶々さんを演じることになって、私にとっては、とてもいい出合いだったと思っています。蝶々さんのお客さまの心をしっかりとつかむ独特の話術、話の間や言い回し。いろいろなことを勉強させていただいています。

 何気ない一言で、お客さまを笑わせ、泣かせて、感動させてしまう。それはやはり蝶々さんの人生経験の豊かさからくるものだと思います。それにもまして、話術も勉強され、すごく勉強家だったと伺っています。ご自身では、学校に行っていないと卑下されていますが、人間としての深い教養がおありだったんだなと思いますね。

 私はまだまだ舞台を楽しむ余裕もなくて、舞台が終わるとヘトヘトになってしまうんですが、蝶々さんのように、いつもお客さまと対話しながら演じるゆとりを学べたらと思っています。映像の世界だと、カメラをアップにしたりして、演技をカバーしてもらえますが、舞台ではすべてが俳優自身の責任になります。自分だけ突っ走っていても誰もついてこないし、生の空気の中で、お客さまと一緒に作り上げていくものですから。

 実は、先日「蝶々記念館」のオープンイベントであいさつさせていただいたんですが、不思議なことに、そのとき1羽のチョウチョがフワフワと飛んできたんです。きっと、あれはミヤコ蝶々さんの化身だったのでは、という気がします。「ホントにこの子で大丈夫かいな」って心配して出ていらしたのかも(笑)。

 今回、この大舞台を経験して、自分自身もどんな風に変わっていくのか、ちょっと期待しているんです。

(東京都千代田区 東京會舘にて取材)



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