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229号 注目の人 歌手・タレント/榊原 郁代さん

「30代、40代の経験が50代を輝かせる。だから、今を大切に生きたいですね」
榊原 郁恵/歌手・タレント
Profile

榊原 郁恵/歌手・タレント
1959年神奈川県生まれ。
76年、第一回「ホリプロタレントスカウトキャラバン」でグランプリ受賞。
翌77年「私の先生」で歌手デビュー。
81年に初演された「ピーターパン」で主役に抜擢。
以降歌手、女優、タレントとしてドラマ、バラエティ番組などで活躍。
87年に俳優の渡辺徹と結婚、現在2人の男の子の母。
5月23日に2冊目の料理本「郁恵の超うまおかず マヨ・レピ」(主婦と生活社)出版。


同世代のアイドルたちに憧れて芸能界へ

幼少のころ、
デパートの屋上遊戯施設にて

3歳のころ。
家族と海水浴

 母いわく、私はすごく素直で育てやすい子だったそうです。でも1度何かを言い出したら頑固で止められない。芸能界入りしたときもまさにそうでした。

 私は第1回目の「ホリプロタレントスカウトキャラバン」でグランプリを受賞し、17歳でデビューしたんですが、実はその前にも児童劇団に応募し、親に反対されたことがあったんです。

 高校に入学してすぐのころ、新聞の広告を見て親に内緒で劇団に応募しました。書類審査には合格したものの、2次審査にはお金もかかる。お小遣いでは足りないし、ちょうど試験が家族で旅行する日とぶつかってしまい、もう言わざるを得なくなって。

 父は猛反対でした。「自分も芝居が好きだったから気持ちは分かる。でも、本気でやりたいなら中途半端ではなく、高校を卒業してからやりなさい」と。大正生まれの父は昔気質で威厳があって。そんな父と面と向かって真剣に話したのは、それが生まれて初めてでした。

 それで1度は夢をあきらめたにもかかわらず、「月刊明星」の募集広告を見て、「スカウトキャラバン」に応募しちゃったんです。ホントに性懲りもなく(笑)。

 その当時は、大ファンだった郷ひろみさんや山口百恵さんとか、同世代の人たちがテレビに出ていて、すごく輝いて見えたんですよ。歌も演技も自信はないけど、自分も知らない何かが自分の中にあるんじゃないかって。そんな夢を勝手に描いていたんですね。

突っ走る私を見守ってくれた父


姉と一緒にピアノ発表会

 ところが、まさか本当に自分が合格するとは思ってもいなかったのに、トントン拍子で芸能界に入ることに。

 そのときは母のほうが反対でした。不安定な世界に娘を入れることへの不安と、普通の恋愛も結婚もできない、女性としての幸せを味わえないと思ったようです。 

 そんな母を説得してくれたのが実は父だったらしい。合格したんだからどんな芽が伸びていくのか見守ってあげようと。そんなことは何も知らずに、周りの状況に押されて私は突っ走ってました。若いからエネルギーがあったんですね。

 それから父は菓子折りを持ってよく会社に来てくれたんです。人に頭を下げる父を見たのは初めてでした。私に「スタッフや会社にかわいがってもらえる人間にならなきゃダメだよ」と。父は、ファンレターの返事も代わりに書いてくれたりとか、私の水着の記事までファイルしたりとか。でも、そのころは若いから照れくさいし、今の言葉で言えばウザいなって。ありがたいと思えるようになったのは、ずっと後になってからですね。

「ピーターパン」で脱アイドル

デビュー記念コンサート

ピーターパン、5、6年目

 デビューして5年ぐらい経ち、そろそろ「脱アイドル」をと考えていたころ、いただいたお仕事が「ピーターパン」でした。

 もともとブロードウエーでは、「ピーターパン」は大人向けのミュージカルで、たまたまその舞台を見た和田アキ子さんが「これは面白い。ぜひ日本でもやりたい」と。それを社長に話したら、「それなら郁恵にやらせよう」ということになって。本当は、和田さんは自分で演じたかったらしいんですけどね。(笑)

 でも、私は歌も下手だし踊りもできない。おまけに飛ばなきゃいけないなんて、できるのかなって。それでも、未知のものに挑戦したい気持ちがあったんですね。もうエベレストでも何でも登ってやるよっていう。

 最初のころはお客さんもなかなか入らなくて、新宿コマ劇場の前で、私も呼び込みしたんですよ。どうせアイドルの舞台でしょ!?あんな太った子が空中を飛べるの? なんて言われながら(笑)。

 不思議なことに、父はこの舞台の1年前に亡くなったんですが、その父が後ろでずっと支えてくれているのを感じました。おかげでフライングも全然怖くなかった。振り返ると、「ピーターパン」は1番やりがいのあったお仕事でしたね。

 あんなに夢中になっていた自分がいたことを、今本当にありがたいと思います。舞台のことは何も分からない私を手取り足取りフォローしてくださった「影」役の方、寝る暇もなく、体もボロボロという状態で私を支えて飛ばせてくださったスタッフの方々。多くの方たちの支えがあったからこそ、できたんだと思います。

 「ピーターパン」はもう8代目になりましたが、私はその1代目。最初だからこそ注目されて、ずっと名前も覚えてもらえる。考えれば「スカウトキャラバン」も第1回目だったし、何もないところから作り上げていく、そういう場にいつも巡り合わせることができて、本当に得な場所にいたと思いますね。

3年がかりでこぎつけたアイドル同士の結婚

 そして、「ピーターパン」の舞台を6年続けて結婚。実は結婚したら仕事をやめようと思っていたんです。ずっと専業主婦で家事をきっちりこなす母を見ていたし、自分は仕事も家事も両方できる性格ではないと思っていたから。

 でも、母は「あなたを見てると仕事を辞めたらこれ以上世界が広がらない。お手伝いしてあげるから続けなさい」と。彼も「仕事しているお前は輝いている。続けたほうがいい」と。そのとき、私は28歳、彼は26歳。若いのに一丁前のこと言ってくれたなって思いますけど(笑)。

 それで結婚後も仕事を続けることになったんですが、主人が「お母さんが一緒に住んでくれたら、お前も楽になるんじゃないの?」って言ってくれて、母と3人暮らしの結婚生活が始まったわけです。

 主人が記者会見で「結婚するのに3年かかりました」と泣き泣き言ったことがありましたが、当時はアイドル同士が結婚すると事務所から圧力がかかる、そんな空気が残っていた時代だったんですね。だから、主人が3年かけて、周りを説得しみなさんから祝福してもらえるような環境を作ってくれたんです。

 どんな世界も同じですが、段取りを間違えると誤解されることも多いので、子どもを産むときも事前に報告して、仕事でご迷惑をかけないようにといろいろ考えましたね。

主人の一喝で乗り越えた舞台「二十四の瞳」

 結婚を機にそれまでとは違ったお仕事をいただいたり、いい方向に流れが変わってきました。主人も青春アイドルから脱皮し、舞台のお仕事が増えてますますエンジンがかかって。もともと新劇をやりたかった人なので、自分のことを「青春アクション新劇大スター」って勝手に言ってましたけど(笑)。

 私にとっては、出産後の復帰で、大きな転換期になったのが、「二十四の瞳」の舞台でした。

 見た目と違って私は案外ネガティブなほうなので、このお話をいただいたときも最初はお断りしたんです。女優さんにとって芸術座で看板を張ることはとても名誉なことですが、私には荷が重すぎて……。でも、ぜひやってほしい、これはきっと財産になるからと言われて、やらせていただくことになりました。

 それなのに、子どもの世話や家事を済ませて、さあセリフの練習をしようと思っても、なかなか集中できないんです。役の大石先生は少し方言があるので方言のテープを聴いて、動きながら声を出してもセリフが体に入ってこない。私はもう、舞台はできないと思うぐらい動揺してしまって。

 そのとき、「声出さなきゃセリフ覚えられないなんて、女優やめちまえ」って、主人はすごく厳しかったんですね。主人は文学座で先輩から厳しく育てられていたみたいですから。その言葉に私もカチーンときて「絶対にやってやる!」って。主人の言葉で喝が入って、ようやくできたようなものなんですよ。

楽天的な主人のおかげで性格も変わりました


 主人には、精神的にもとても支えられているんです。私は仕事が終わって帰ると、つい「あのときこうすればよかった」って後悔しちゃうんですよ。そんなとき、彼は「なんで終わったことを悔やむの? その経験を次に生かせばいいじゃない」と。発想の転換ですよね。

 楽天的な主人と結婚してから、ずい分性格が変わりましたし、何か壁にぶつかっても楽に乗り越えられるようになりました。

 そう考えると、彼の存在は偉大ですね。わがままなところもいっぱいあるけど、まあそのへんは大目にみるかって(笑)。

 主人は1人っ子だったので、2人目の子どもが生まれたときに「兄弟の気持ちは分からないから頼むな」って。私自身も次女だったので、上の子の気持ちはよく分からない。

 そんなとき、主人の母に男の子の育て方を教えてもらったりしたんです。渡辺家の母は厳しいけれど、子どもを伸び伸びと育てるのが上手なので、とても参考になりましたね。年齢を重ね少し体も弱くなりましたが、いつも気持ちはしゃんとしていて、その姿に私たちのほうが逆に勇気をもらっています。

仕事も人との出会いも自然な巡り合い

 昨年は、芸能生活30周年を記念して、初めてのお料理本を出したんです。お料理の本なんて思ってもいなかったのに、お声をかけていただいて。

 そして、今年の5月はその第2弾として、マヨネーズのレシピ本を出しました。考えているうちにいろんなアイデアが出てきて、楽しかったですね。

 デビューして今までの30年は早かったけど、これから30年たったらもう80歳。そう思うと怖いですよ。なるべく自分のペースを崩さずに仕事をしたいと思うんだけど、ときどき和田アキ子さんから「仕事を選ぶなんておこがましい。いただいたものはありがたくやるんや」って言われます。そう言われればその通りですよね。

 今までのお仕事も自分で望んだというより、自然な巡り合わせでいただいたもの。それに、よく友達に言うんだけど「器用に見えるかもしれないけど、私は実は何もできないのよ」って。そんな私がずっと仕事を続けてこられたのは、いろんな人との出会いがあって支えていただいたから。そう思うと本当に感謝しかないですね。

 そして、今年は40代最後の年。だから、この1年はすごく意識して大切に過ごしています。50代で輝いている人を見ると、30代、40代でいろんな体験を重ねてきたことが形になって、自信につながっている。あと1年、自分は何ができるんだろうって考えながら、憧れの50代に向かって頑張らなくっちゃ!

(東京都港区の某テレビ局楽屋にて取材)



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