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226号 注目の人 東京大学大学院教授/上野 千鶴子さん

「いつかはみんな『おひとりさま』。だから、安心できる介護システムが必要なんです」
上野 千鶴子/東京大学大学院教授
Profile

上野 千鶴子/東京大学大学院教授
1948年富山県生まれ。
京都大学大学院社会学博士課程修了後、平安女学院短期大学助教授、京都精華大学助教授などを経て1993年に東京大学文学部助教授、 1995年に同大学大学院人文社会系研究科教授。
専門はジェンダー論。著書に「スカートの下の劇場」(河出書房新社)「家父長制と資本制」(岩波書店)「サヨナラ、学校化社会」(太郎次郎社)ほか多数。
近年は介護問題にも関わっており、2007年出版の「おひとりさまの老後」(法研)では、シングル女性が充実した老後を迎えるためのスキルとインフラについて紹介している。


父に溺愛された 「ブラックシープ」


日舞をならっていたころ

 私は富山県の開業医の家庭に、兄と弟がいる3人きょうだいの中の1人娘として生まれ、高校のとき家族そろって金沢に引っ越しました。子どものころはチャンバラや西部劇ごっこばかりしているトムボーイ(お転婆娘)でしたが、父は息子たちを厳格にしつける一方で、娘の私をメロメロに溺愛。

 10才ごろのお正月のこと。父が兄と弟の将来の仕事について教訓がましく指導することがありました。蚊帳の外に置かれた私が「チコちゃんは?」と尋ねると「かわいいお嫁さんになるんだよ」って。当時、女の人生は結婚して他家に嫁ぐことがすべて。父にとって娘はペットのような存在だったんです。

 専業主婦だった母は休む暇もなく家事に追われていましたが、家では収入のある父が威張っている。母は「子どもがいるから離婚できない」と、いつもこぼしていました。  仲の悪い両親を見て育った私は、結婚に対して夢を描かなくなり、後日、「主婦の不払い労働」を研究テーマに選んだのも、母のリベンジだった気がしますね。

 女性がフェミニストになるパターンは3つあると思います。1つめはちょっと変わった家庭で育ち、世間に出て初めて自分が規格外だと気付いた「トットちゃん」のような人。2つめは、私みたいに母親と同じ人生だけは歩むまいと心に決めた家族の中の「ブラックシープ」(はずれもの)。3つめは、普通の家庭で親の期待通りに育ち、望んだとおり結婚・出産してから、ある日突然、「何かが間違っている」と目覚めた人。気付くのが遅すぎるけど(笑)。

人生を変えた女性学との出合い


 高校卒業と同時に実家を離れ、京都大学に進みましたが、学問への期待は見事に裏切られました。専攻した社会学では「社会と個人」の関わりについて考察しますが、その中に「私」の居場所が見つからない。「つまらん学問やなー」と思いながらも、大学院に進みました。でも、ちょうど学生闘争の時代で向学心はゼロ。やりたいこともわからずバイトで食いつなぐ毎日でした。だから、フリーターやニートの気持ちはよくわかるの。

 そんな私が20代後半に出合ったのが女性学。当時は民間の学問でしたが、女である自分自身を研究対象にしてもいいなんて、目から鱗でしたね。

 たとえば、生理用品の歴史研究なんて先行する文献も資料もない。じゃあ、お年寄りに話を聞きに行こう。「姑と同じ墓に入るのはイヤ」と誰かが言えば、それを「死後離婚」と名付けて「女と墓」の研究をしよう、と。すべての研究テーマが前人未踏で、何をやってもパイオニア。もう、みんな夢中でした。

 女性学の論文を書いていると、社会に対しての怒りが沸々と湧いてきて、どうしてもこれをやらなければという気持ちになったんです。でも、学会誌に論文を投稿しても「主観的」だという理由で載せてくれないのはわかっていた。じゃあ自分たちで作っちゃおう、と80年に雑誌「女性学年報」を創刊。一人一人の「晴れ舞台」を作って研究結果を発表したり、お互いの論文にコメントしあったり、素人を論文の書き手に育てるためのシステムも構築しました。

 それから10年かけて女性学はようやく学問として認められるようになりました。大学の教師として初めて組んだ女性学のカリキュラムを教授会で「それって学問ですか」と言われて、悔し泣きしたこともありましたが、めげずに道を切り拓いてきました。今、東大の上野ゼミの学生たちはそれぞれ自由なテーマで、のびのび研究しています。30年前とは隔世の感がありますね。

子どもを産むことだけが成熟への道ではない

 私は確信犯でシングルを選んだわけじゃないんです。恋愛や男性と一緒に暮らすことにためらいはない。でも、結婚という形には興味がなかった。子どもを産む選択肢もなかったわけじゃないけど、迷いながら気が付くとその時期を過ぎていた。人生なんて振り返ればそんなもんでしょ?

 多くの女性にとって、子どもを産むことが人間的な成熟に至る大きなきっかけになっていることは確かです。でも、それが唯一の道ではない。育児を経験しなくても、仕事やさまざまな人との関わりの中で成長し、尊敬できる女性はたくさんいますよ。

 私も他人が産み育てた子どもたちを大学で教えていますが、やはり親の気持ちになりますね。この子たちの将来に責任があると感じるから。以前はビシビシ鍛えてましたけど、今の学生は打たれ弱いから、最近「鬼の上野」から「仏の上野」へと方針転換したの(笑)。

みんなにやってくる 「おひとりさまの老後」


82.10月 シカゴ大学客員研究員のころ。
ミシガン湖からシカゴを望む

 「おひとりさまの老後」を書く契機となったのは、シングルである自分自身の老いでした。想定外だったのは「おひとりさま」ではない方がたくさん読んでくださっているということ。家族持ちの女性が「私もおひとりさま予備軍です」とおっしゃいます。実際、50代を過ぎたころから、離別や死別でシングルに戻る「シングル・アゲイン」の女性が増えてきます。子どもに老後を頼ろうにも、きょうだいの数が少ないから1人あたりの負担が重すぎる。子どもは老後の「保険」にならないんです。

 結婚して疎遠になっていた旧友が、最近はシングル・アゲインで戻ってくる。「あら、お帰りなさい」と。シングル・アゲインの女友達とは、以前より仲良しになりましたね。だから、シングル歴が長いか短いかだけで、いつかはみんな「おひとりさま」になるのよ。

幸せな老後は 「金持ち」よりも「人持ち」

 作家の吉武輝子さんが書評に書いてくださった大好きな言葉に、幸せな老後を迎えるコツは「金持ちよりも人持ち」とありました。数はたくさんいなくてもいい。でも、さみしいときに「さみしいよー」と言える相手を確保しておくことは、すごく大切ね。私?お陰様でグチをこぼす相手には困りません。

 人持ちとは「選択縁」こと選び合う関係、つまり、自分が自分らしくいられる相手を試行錯誤を繰り返しながら探索し、お互いに選び合った仲間を持つこと。家族にも言えない悩みを打ち明け、励まし、支え合う。そこには夫の職業も子どもの学校も地域のしがらみも関係ありません。それはまさに、フェミニズムが作ってきたネットワークそのものですね。

 私自身のことを言えば、このところ仕事場がある八ヶ岳山麓で、定年退職者の移住者のコミュニティーに入れていただいています。過去やプライバシーには立ち入らない、その使い分けと距離感が絶妙な人たち。でも、困ったときはすぐ駆けつけてくれる。利害関係ではなく、一緒にいて楽しいという理由だけで、食事に呼んでくださるの。ありがたいですね。

 友達と話したり、夕焼けを見たり、おいしいものを食べたり……。ささやかな幸せで「ああ、今日一日生きていて良かった」と心が満たされるのなら、「老後の生きがい」なんて無理につくらなくてもいい。小さな喜びや感動を大切にして、日々のクオリティー・オブ・ライフを高めていく。その連続が人生なんだから。

父の遠距離介護を経験して

 私には「子どもに頼る」老後という選択肢がないことは、父を介護したときに切実に感じましたね。

 7年前に父は亡くなりましたが、15ヵ月間闘病生活をしていた父を介護するため、毎週、東京から金沢まで通いました。父は70才を過ぎて母に先立たれ、 10年間1人暮らしをしました。それまで、お茶ひとつ自分で淹れなかった男が、ご飯を炊くことを覚えて……。そのうち心境が変わったのか、父の期待を見事に裏切って仕事女になってしまった私に、「女も働くっていいことだね」と言いました。

 父はワンマンで「自己中」で人間的にも未熟な男でした。そんな父を私はずっと尊敬できなかった。でも、あるとき親しい人から言われたんです。「未熟でない親がいますか?」って。考えてみれば、父は未熟なりに、愛を精一杯私に注いでくれた。子どもにとってははた迷惑な愛でも、世間にはその愛さえ与えられず育った子どもたちの何と多いことか。どんなに未熟であっても、父の愛は私にとって大きな贈り物だったことに初めて気が付いたんです。そして、私にはそれをもらった恩義がある。だから、父の最期を見届けようと思えたんですね。

いい介護を受けるためには賢い消費者になる


父と母


20代のころ母と


'82.7月ニューヨーク州イサカ
で友人の娘と一緒に

 2000年に介護保険制度が導入され、他人さまのお世話になって当然という社会ができた。ああ良かった、私のためにできたと思いましたよ(笑)。それ以来、私の主要な研究テーマは介護。私の目線は利用者、介護される側です。

 経験から言えば、価格と介護の質は相関しませんね。入居金が何千万円もする超高級な高齢者用施設でもベッドや車椅子に縛りつけるような身体拘束が行われていたり、介護される本人ではなく、お金を出している家族のためのサービスになってしまっている。本当に良い介護とは、介護を受ける当事者の声に耳を傾けること。実際にそういう方針で活動しているNPO団体もあります。だから、良い介護を選ぶためには、賢い消費者になることが必要です。

 介護労働者の報酬や労働条件も労働に見合うものにしていかないと。だって、しわよせは介護される当事者に来ますから。

 でも、日本のお年寄りって、他人さまにお世話されることに慣れていないから「私のような者が生きているだけでも申し訳ない」って言うのね。

 私はね、「人間は1人で生まれて1人で死んでいく」なんておこがましいと思うんです。だって、母親がいないと産まれないの。新生児は自分では寝返りも打てないし、排泄物も垂れ流し。つまり、「要介護度5」です。人間はオギャーと産まれたときから他人さまの世話になりっぱなし。それなら死んでいくときに何の遠慮がいりますか。人類の長年の願いだった長寿社会が達成されて、これだけ手厚い介護があることは喜ぶべきことでしょう。

 安心して、ゆっくり死んでいけばいい。ただ、そのためのシステムづくりが必要なんです。

 私がこういうことを言うのは、将来、介護される私自身がツライ目に遭いたくないからなの。自分の老後がかかっているから必死ですよ。要介護の当事者になったら、介護について新しい本を書きたい。「よーし、要介護者になったるでー!」って今から楽しみにしているの(笑)。

(東京大学の上野研究室にて取材)



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