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223号 注目の人 JT生命誌研究館館長/中村 桂子さん

「21世紀は生命の時代~今こそ、生命を『愛づる』視点が大切だと思います」
中村 桂子/JT生命誌研究館館長
Profile

中村 桂子/JT生命誌研究館館長
1936年東京生まれ。
59年東京大学理学部化学科卒業。
64年同大学院生物化学課程修了後、国立予防衛生研究所勤務。
71年三菱化成生命科学研究所社会生命科学研究室長、その後人間・自然研究部長を経て、89~97年早稲田大学人間科学部教授。
93年JT生命誌研究館副館長、
02年同館館長に就任。
著書に「自己創出する生命」(筑摩書房)「ゲノムが語る生命」(集英社新書)ほか多数。


物はなくても心豊かな子ども時代


中学生のころ。
東京四谷の自宅にて

 よく、子どものころから科学に興味を持っていたんですか?って聞かれるんですけれど、ごく平凡な女の子でした。

 東京の四谷で育ちましたが、まだ高速道路もない時代ですから、原っぱで摘んだ草でおままごとをしたり、自然の中で伸び伸びと遊んでいたんです。その後、小学校4年生のときに愛知県の高浜に疎開しました。三河湾に面していたので、朝取れたてのカニや車エビを漁師さんからたくさんいただいて、それがご飯の代わり。今考えるとぜいたくな話ですが、やはりお米が食べたかったですね。母は、庭を畑にして野菜を作ったり、5人の子どもの世話で本当に忙しかったと思います。

 私はキャラメルが大好きで、小さいころはキャラメルをなめながら本を読むのが至福のときだったの。でも、戦争が始まってお砂糖もなくなってしまった。それで疎開先でキャラメルが食べたいって言ったら、母が作ってくれたんですよ。まず、麦をむしろの上に置いて芽を出させる。それをふかして潰したさつまいもに加えると、麦芽の働きで飴ができる。それに南京豆を加えるとピーナッツタフィのようなものができるわけ。それがとてもおいしかった。多分、今食べたらそれほどおいしいとは思わないかもしれないけれど、母が一生懸命作ってくれるのをずっと楽しみに見ていたから、その飴がとっても大事なものに思えたんです。

 最近は、買えば何でも手に入るけれど、誰がどうやって作ったのか分からないでしょ。誰かが時間をかけて作っている姿を見れば、それが味として生きますし、自然に感謝が湧いてきますよね。だから、本当の豊かさって何なんだろうって思いますね。もちろん戦争はノーですし、物も食べ物もないのはつらいですが、物が豊かな今にはない、豊かな生き方をしていたという気がします。

木村先生に憧れて化学の道へ


高校生時代、憧れの木村都先生を囲んで
(2列目右から3番目が中村さん)

 私が生命科学の世界に入ったのは、特に崇高な目的があったからではなくて、本当にいい加減なの(笑)。でも、その1つのきっかけを作ってくださったのは、高校時代の化学の先生でした。  木村都先生というとても素敵な先生。謙虚で控えめだけど、先生が化学を愛し、大切に考えていらっしゃるのが伝わってきて、「私も木村先生のようになりたい」と憧れて。それで理科系に進んだわけね。その先生が定年を迎えられたときに、理科系に進んだ教え子たちみんなで感謝の集いを開いたんです。そうしたら、なんと全員が先生に憧れて進路を決めたって聞いてびっくり。そう思っていたのは私だけだと思っていたのに(笑)。

 でも、先生はずっと悩んでいたことを後から知りました。先生が本当に教えたかったのは、事実だけでなく、化学の歴史や生活・環境とどう関わっているかなど、教科書には載っていないこと。それで、70才のときに思いを込めた「元素の話」という本を出され、送ってくださったんです。私が生命誌研究館を創ったことをとても喜んでくださり、「本当はそういうことを私もやりたかったのよ」って。うれしかったですね。きっと、先生のその秘めた深い志が、言葉にはなさらなくても私たち生徒には伝わっていたんでしょうね。

生命の不思議とDNAとの出合い


 その後、東京大学で化学を専攻し、それまで知らなかった新しい知識に出合いました。それまでは試験管の中で実験していただけでしたが、実は人間の体の中でも同じような化学反応が起きていることを知ったんです。今はもう広く知られていますが、当時生化学は最先端の学問で、学校では教えてもらえなかったので、先輩たちと本を読んで勉強しました。

 1番驚いたのは、体の中の基本反応では物質が循環しているということ。これはすごいと思いました。最近、環境問題でリサイクルって言うでしょ?それは物を作りすぎて、ゴミが出たから仕方なくリサイクルする。ここで余分なエネルギーもいりますが、生きものの体の中はサイクルなのです。無駄がない。だからこそ、生きものは38億年も続いてきたんだと思います。

 もう1つの出合いは、DNA。DNAの二重らせんを見て、本当に美しいって思ったの。当時、アメリカの映画や雑誌で大きな家にらせん階段があって、素敵な女の人が降りてくる場面があって、そんなきらびやかな憧れの象徴がらせんだったわけ。それがDNAとパッと重なってこんなに美しいものが体の中にあるなんてって感激しましたね。単純でしょ(笑)。

 それで、DNAを研究したいと思ったのですが、同級生全員から反対されたんです。当時は、プラスチックを作るなど新しい化学の始まった時代でしたから、いくらでも面白い仕事がある。海のものとも山のものとも分からないDNAの研究なんて、馬鹿なことだと。ところが最近は、同級生たちが私のところにDNAのことを聞きにきたりするんですよ。ほらごらんって感じね(笑)。

研究者として自立


お子さんと一緒に。
長女5才、長男3才のころ

 そして、大学院で分子生物学を研究し、博士課程終了後、国立予防衛生研究所に勤めました。でも、すぐに妊娠して退職したんです。結婚して主人の両親と隣同士で住んでいたのですが、堅い家柄に育った義父にとっては赤ちゃんを置いて仕事に行くなんて考えられないことでしたから。

 今考えると、恩師の江上不二夫先生には申し訳ないことをしたなと思います。もし私だったら、せっかく育てたのにって怒るでしょうね。好奇心だらけの私には、実験室だけに閉じこもるのは向いていないと分かっていらしたみたい。おかげで、子育て中も翻訳の仕事や、江上先生が朝永振一郎先生と立ち上げた科学映画協会のお手伝いなどをさせていただきました。

 長女が5才、長男が2才になったときに、江上先生が生命科学研究所を創設され、「もうそろそろいいんじゃない?」と声をかけていただき、お手伝いすることになりました。

 でも、10年後、江上先生が亡くなってしまったんです。それまでは、先生の路線通りにやればよかったのですが、それからは自分で考えなくてはいけない。遅いのですが、自立を本格的に意識し、生まれて初めて悩みましたね。

10年悩んでひらめいた「生命誌研究館」


JT生命誌見学ツアー


1997年10月5日 「音楽に聴く生命誌」


2002年7月27日 
ダンスイベント「根っこと翼」

 実はずっと心の中で考えていたのは、生命科学が華やかになればなるほど、生命を機械のように考えて利益優先になっていく。それはちょっと違うなということ。子育てなど日常の中で感じることと、実験室の中での研究がどんどんかけ離れていくことにずっと懸念を抱いていたんです。どうしたらいいのか? その答えを探して悩み続けました。

 1985年につくば万博があり、そのテーマは「人間、居住、環境と科学技術」。その5年前、なぜか私に「人間と科学技術」というテーマで考えなさいという役割が与えられたんです。それは私自身が悩んでいたテーマでもあったわけですが、社会が求めている答えはすぐに分かりました。科学技術の光と影、倫理的な問題などについて書けばよかった。でも、そのとき私はそういうおざなりな答えは書かないと決めたのです。

 ところが、5年間悩んでもまだ答えが出ない。ただ不思議なことに、あと1年たてば答えが出せるという確信はできたんです。それで1年延ばしてもらったわけですが、その1年が大変でした。

 ある日思い余って、真夜中に友達に電話をかけて話していたら、突然「生命誌研究館」という言葉がひらめいたんです。その瞬間、あっこれが答えだって分かった。それまでぐちゃぐちゃと悩んでいたことがパーッと雲が晴れたように、はっきりと見えてきた。あの体験は初めてでしたね。


 生命誌というのは、38億年前から連綿と続く生命の歴史、その物語を読み解くこと。DNAというパーツで捉えるのではなく、生きものを全体として考えたい。そう思ったのです。そしてその1つの切り口がゲノムだと気が付いたのです。人間なら人間、ゾウならゾウをその個体たらしめている、その生きもののすべての情報を総合してゲノムと呼んでいます。DNAという物質を遺伝子でなく、ゲノムとして捉えればいいんだと。

 地球上のすべての生きものが同じDNAという物質を基本とし、人間もあらゆる生きものとつながっている。それが研究の基本です。でも、それを遺伝子として見たのでは生命の本質は見えてこない。私はゲノムという単位で生きもの全体を見ること、さらに生命誌という観点から、長い歴史の中で「生きているとは何か」を考えようと提唱したわけです。よく考えると当たり前なんですけれど、学問の世界では不思議と当たり前なことをやる方が難しいのね。

愛づることは生命の本質を見ること


朗読ミュージカル「いのち愛づる姫」

 そして、支援してくださる方を探し、1991年から生命誌研究館をスタートしました。研究館はホールですから、誰でもいらして楽しめるような表現を工夫しています。

 開館10周年の年に、童話作家の山崎陽子さん、画家の堀文子さんと一緒に、「いのち愛づる姫」という朗読ミュージカルをつくって公演したら、専門家も大人も子どもも、とても楽しんでくれました。それを観た編集者が今年の4月、絵本にして出版してくれたのです。

 この絵本の下敷きになっているのは、平安時代に書かれた「堤中納言物語」の中の、「蟲愛づる姫君」というお話。大納言の家のお姫様が毛虫を飼っていて、みんなに気味悪がられていたんです。でも、お姫様は「汚い毛虫が成長してきれいな蝶になる。だから、この毛虫の中に生命の本質があり、それが分かれば、毛虫を愛づる気持ちが生まれるのよ」とおっしゃるのです。何とも深い言葉ですよね。

 私は子どもの視点ってすごいなと思います。物事の本質を見抜く力をちゃんと持っている。日ごろ子どもたちと接していると、生きものが本来持っている能力をそのまま表してるなという気がします。大人になると能力がだんだん衰えて、多分文明国の大人が1番ダメなんじゃないかしら。

 でも、最近はさまざまな分野で生きものや地球のことを考えようという仲間が増えてきて、とてもうれしいですね。私は今こそ生命を「愛づる」視点が大切だと思います。機械論的な生命観から抜け出て、21世紀を本当の意味での「生命の時代」にしなくてはと思いますね。

(世田谷区成城の自宅にて取材)



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