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217号 注目の人 宇宙飛行士/山崎 直子さん

「亡くなった宇宙飛行士の夢を継ぎたい、それが宇宙飛行士をめざすきっかけでした」
山崎 直子/宇宙飛行士
Profile

山崎 直子/宇宙飛行士
1970年千葉県松戸市生まれ。
1993年東京大学工学部航空学科卒業。1996年東京大学宇宙工学専攻修士課程修了。
1996年からNASDA(現JAXA)に勤務し、JEMプロジェクトチームで「きぼう」日本実験棟の開発業務などに従事。
1999年NASDAより、国際宇宙ステーションに搭乗する日本人宇宙飛行士の候補者として選定され、2001年9月宇宙飛行士として認定される。
2006年5月「きぼう」日本実験棟の打ち上げミッションの、クルーサポートアストロノート(搭乗者支援宇宙飛行士)に選定される。


宇宙への憧れから、宇宙飛行士の夢へ


幼稚園のとき。
家の近くの公園にて
提供
宇宙航空研究開発機構
(JAXA)

 私が宇宙に興味を持ち始めたのは、小学校低学年のころ。当時、父の仕事の関係で札幌に住んでいたのですが、星空がすごくきれいだったんですよ。3才年上の宇宙好きな兄に連れられて、町内の「星を見る会」にもよく参加しました。天体望遠鏡で初めて月のクレーターや土星の輪を見て、とても感動しましたね。

 「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」など宇宙もののアニメーション映画も大好きでした。その後、小学校中学年になって生まれ育った千葉に戻ってからも、近くのプラネタリウムによく通いました。東京ディズニーランドで、スタッフのお姉さんが着ている制服が宇宙服みたいでカッコいいなと思ったり。でもそのころは、宇宙飛行士なんて想像もつかなくて、「私たちが大人になったときには、みんな宇宙に行けるんだ」と思い込んでいたんです。

 そんな漠然とした宇宙への憧れが、急に現実味を帯びてきたのは、中学3年のときでした。高校受験を間近に控えた、1986年1月29日。夜、勉強をしながらテレビを見ていたら、ちょうどスペースシャトル「チャレンジャー」号の打ち上げの映像が流れていました。笑顔で手を振る宇宙飛行士たちを見て、「本当に宇宙に行けるんだ」と思ったんです。

 その直後、打ち上げから数十秒で「チャレンジャー」号が大爆発。ものすごいショックでしたが、不思議に怖いとは思いませんでした。そのとき亡くなった7人の宇宙飛行士の1人に、女性教師クリスタ・マコーリフさんがいたのですが、なぜか私は「亡くなった彼女たちの夢を受け継ぎたい」そう思ったんです。命をかけても宇宙に行こうとしている人たちの尊い志を継ぎたい!それが、私が宇宙飛行士をめざす第一歩でした。

2度目のチャンスで とうとう宇宙飛行士に!


 そして、もともと設計などもの作りが好きだったので、宇宙工学を研究しようと、東京大学の工学部に進学。卒業設計はほとんどの学生がロケットや衛星を設計する中、私が選んだのは「宇宙ホテル」。どうしたら宇宙に長く滞在できるかを考えてみたかった。先生にはまるでSFの世界だと笑われましたが(笑)。

 その後、大学院で宇宙ロボットを研究し、航空宇宙工学の本場、アメリカのメリーランド大学に1年間留学。実はその留学中、宇宙飛行士の試験に初めて応募したんです。でも、そのときは野口聡一飛行士が選ばれ、私は不合格。

 それでも「いつかは宇宙飛行士に…」という夢を秘かに抱き続けたまま、1996年、NASDA(宇宙開発事業団、現JAXA)にエンジニアとして入社。NASDAでは、国際宇宙ステーションに搭載予定の日本実験棟「きぼう」の開発や設計などに携わってきました。

 そして、入社3年目。宇宙飛行士に挑戦する2度目のチャンスが訪れました。最終試験の翌朝、毛利衛宇宙飛行士からじきじきに電話があり、「おめでとう!」と言われたときには、もう感激で声が震えて…。うれしかったですね。

厳しい訓練の日々


小学生のとき。北海道にて
(提供 宇宙航空研究開発機構(JAXA))


大学院のとき休学して
アメリカ・メリーランド州立大学留学中
(提供 宇宙航空研究開発機構(JAXA))

 1999年2月、国際宇宙ステーションに搭乗する宇宙飛行士の候補者に選ばれ、その2ヵ月後から訓練が始まりました。

 宇宙飛行士になるための訓練は、基礎知識の講義や語学研修などに加え、巨大プールの中での船外活動の訓練など、実にさまざま。中でも1番大変だったのは、厳冬のロシアでのサバイバル訓練でした。実際に宇宙へ飛ぶときには、アメリカのスペースシャトルかロシアのソユーズのどちらかで行くことになるのですが、ソユーズの場合は丸いカプセルなので、帰還時、着陸地点がずれてしまっても、救助隊が来るまで生き延びられる訓練をするわけです。マイナス20度のロシアの雪原でシェルターを作り、3日間寒さと空腹に耐え続ける。これは本当につらかったですね。

 私自身、子どものころから、のんびりとした性格で体力にも自信はありましたが、訓練中、ロシア人からも「タフだね」と言われて、自分でも驚きました。もともと何でも楽観的に考える方なので、訓練も楽しかったし、宇宙飛行士には向いているのかもしれません。そして、訓練が始まって2年後の2001年9月、正式に宇宙飛行士として認定されました。でも、国際宇宙ステーションの完成が当初の予定から延びてしまい、いつ宇宙に行けるのか分からない状況になってしまったのです。

支えてくれた家族の力


お茶の水女子大学
付属高等学校入学式
提供
宇宙航空研究開発機構
JAXA

 その後もさまざまな訓練が続く中、私は思い切って、娘・優希を出産しました。宇宙飛行士の訓練との調整も迷った挙句、宇宙に行く予定が延びて、産むなら今しかないと(笑)。夫は筑波宇宙センターのシステム運用管制官として勤務していたのですが、私がアメリカ、ロシアで訓練している間、子どもの育児や家事全般を引き受けてくれました。会社の仕事と家事・育児、さらに両親の介護まで抱えて、大変な思いをしたようです。ここまでやってこれたのは、本当に夫の協力のおかげだと感謝しています。

 3年前、夫は、私のアメリカでの訓練が本格的に始まるのを機に、会社を退職し、家族3人で一緒に渡米しましたが、その後、日本で宇宙ビジネスの民間会社を起業しました。娘は4才になりましたが、アメリカでの生活にすっかり慣れてきました。毎日の訓練の後、できる限り一緒にいられる時間を大切にしています。毎日子どもの笑顔を見るだけで元気が出ますね。子どもって、絶対妥協しないし、いつも“今"のことしか考えない。子どもを見ていると、忘れがちだけど1番大切なことを思い出させてくれるんです。

 自分の子どもが生まれたことで、あらためて1人1人の命が、かけがえのない大事なものだと感じます。そういう子どもたちに、美しい地球を残してあげたい、そのためにも、宇宙の仕事に関わることで何か貢献できればと思いますね。

2010年、宇宙時代が近付いている

 予定では来年の2月以降、「きぼう」日本実験棟の第1便が打ち上げられ、国際宇宙ステーションにドッキングすることになりました。長年、私も開発に携わってきたので、感慨深いものがありますね。「きぼう」はパーツに分けて、3回打ち上げられますが、最初のフライトには土井隆雄宇宙飛行士が搭乗。そして、私は地上から支援するクルーサポートアストロノート(搭乗者支援宇宙飛行士)に選ばれました。これは一言で言えば、土井飛行士をサポートし、地上管制管やすべての人たちとの調整役。今はそのミッションに向けて頑張っているところですが、いずれは私も宇宙に行って、いろいろな実験をしたいと思っています。

 「きぼう」は、日本で初めて開発された有人施設ですが、打ち上げ後はオゾン層など地球環境の観測・調査、宇宙実験で高品質なタンパク質結晶を作って医薬品の開発に役立てるなど、さまざまな実験や研究が予定されています。

 そして、国際宇宙ステーションは今、2010年の完成に向けて、世界15ヵ国が参加協力しています。人類にとってはいわば初めての「国境のない場所」。人間が常に宇宙に滞在できるステーションができれば、もっと宇宙も身近になり、誰でも宇宙に行ける時代が来ると思います。子どものころから夢に見た“宇宙時代"が近付いているのだと思うと、今からワクワクしますね。

夢を持ち続ける


宇宙飛行士選抜のとき
(提供 宇宙航空研究開発機構(JAXA))


きぼう EVA手順開発試験 (OPS No3)
(提供 宇宙航空研究開発機構(JAXA))

 よく「夢を実現するにはどうしたらいいですか?」と聞かれるんですけど、そんなに身構える必要はないと思いますよ。

 私自身も、最初に「宇宙飛行士になりたい」と言ったときは、親や周りの人はみんな冗談だと思っていたみたい。でも、ずっと思い続けていたら、いつの間にか夢にたどり着いていた。そして、中学生のとき好きだった英語も、大学で研究していたことも、全部が宇宙飛行士という仕事に役立っていたんです。

 だから、身近な生活の中で、「これは面白そう」と思ったら、どんな小さなことでも興味を持って続けていると、どこかで夢とつながってくる。その夢はたくさんあってもいいし、いろんな夢を大事に温めていけばいいんじゃないかな。

 私も、まだまだ夢の途中ですが、これからも焦らず頑張っていきたいと思います。いつも大切にしている言葉は「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る」。これは高村光太郎さんの言葉ですが、どんな状況であれ、自分が信じて歩き続ければ、そこが道になる。宇宙飛行士という仕事も、宇宙という未知なる世界への挑戦ですから、まず自分を信じるしかない。この言葉にいつも励まされていますね。



地球も人間も、宇宙の仲間

 まだ私自身のフライトはいつになるのか分からないけど、宇宙に行ったら、まず地球を見てみたいと思います。無重力という環境で、自分の体がどう変わっていくのかも興味がありますね。宇宙から、宇宙の神秘を子どもたちに伝えたい。

 小学生のころ、星と人間の体が同じ成分から構成されていることを知り、とても感動したのですが、人間も地球も同じ宇宙の仲間。そう思えば、この地球も1人1人の命も、もっと大事にできるのではないかと思います。だから、時々は、宇宙から眺めた地球の姿、美しくはかない地球の映像を思い出してほしい。

 そして、何かつらいことがあったら、星空を仰ぎ見てみる。私もつらいとき、落ち込んだとき、星を見て宇宙に思いをはせると、自分も宇宙の一部なんだなあって心が広がっていくんです。

 今はまず宇宙に飛ぶことが目標ですが、いつかは月に行くのが夢ですね。エンジニアとしては、日本産の有人ロケットを作って日本から飛ばしたい。そのロケットに乗って、宇宙に行けたら最高ですね(笑)。

(筑波宇宙センターにて取材)



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