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214号 注目の人 ミミスイミングクラブ代表・スイミングアドバイザー/木原 光知子さん

「運動は『運を動かす』こと。水泳で過去は水に流すんです(笑)」
木原 光知子/ミミスイミングクラブ代表・スイミングアドバイザー
Profile

木原 光知子/ミミスイミングクラブ代表・スイミングアドバイザー
1948年岡山県出身。日本大学文理学部卒。
1964年、東京オリンピックに最年少選手として出場。400mメドレーリレーでアンカーとして4位入賞。その後、マスコミ界で司会、レポーターなどで活躍。
現在、全国10ヶ所のミミスイミングクラブの代表として、子どもから高齢者、身障者のリハビリのための水泳指導にも積極的に取り組む。1997年、「ウーマンズ・スイム・フェスティバル」を立ち上げ、大会委員長を務める。
自らも世界マスターズ大会で世界記録を樹立するなど、現役選手としても活躍。
日本水泳連盟理事、日本マスターズ水泳協会理事。著書に「水を得た女たち」(法研)ほか多数。


先生が導いてくれたオリンピックへの道


七五三(5才)

 水泳は子どものころから大好きで、小学校6年のときに「水泳選手になってオリンピックに出たい」という作文を書いたんです。その夢が叶ったのは16才のとき。東京オリンピックに、史上最年少で出場することができました。

 私はちょうど団塊世代の生まれですから、当時は、中学校を卒業して集団就職する友達も多く、大学に行くことさえまだ珍しい中で、女性が好きなことをずっと続けるというのは考えられない時代でした。それでも、私が自分の夢を実現できたのは、いつも「こうした方が幸せになれるよ」と、アドバイスしてくれる人が周りにいてくれたからなんです。その声に素直に耳を傾け、頑張ってみる。私の人生は、その繰り返しだった気がしますね。

 生まれたのは兵庫県の明石市。その後、父が実家の製材所を継ぐことになり、2才からはずっと岡山で育ちました。子どものころはまだ自然が豊かで、夏になると川遊びをしたり、プールで泳いで、その帰りにアイスクリームかお好み焼きを食べる。それが唯一の楽しみでした。本当においしくて、いまだにお好み焼きは大好きですよ。

 4月生まれの私は、同級生の中では体が大きく、頭1つ分ぐらい身長も高かったんです。だから、走っても、泳いでも何をしても1番でしたね。その上、気が強かったから、あだ名は女ターザンとか桃太郎(笑)。何しろ、女の子をいじめている男の子を見ると、理由も聞かずにバシッと一発。当時人気があった力道山の真似をして、空手チョップで張り倒していたんです。だから、いつも先生に怒られてばかりいましたね。


東京オリンピック(高校1年生)

 その後、中学校に進学したものの、その学校にはプールがなく、私は軟式テニス部に所属していたんです。

 ところが、ある日、小学校のときの担任の先生が家に来てくださって、「あのとき、『オリンピックに出たい』という作文を書いていたけど、今はどうしているの?」と。実は、私自身、作文のことはすっかり忘れていたんです(笑)。そして、その先生が「神伝流」という古式泳法の先生を紹介してくださって、本格的に水泳を始めることになりました。でも、そのとき泳がされたのは、掃除する前の青い藻が浮いているプール。フナまで泳いでいたんですよ。よく、「どうして背泳ぎを選んだんですか」と聞かれるんですが、理由は、プールに顔をつけるのが嫌だったから(笑)。今では笑い話ですが、本当にのどかな、いい時代でしたね。

 その後、中学2年のときに岡山国体で3位に入賞。この国体では、ラッキーなことにその年初めて、中学生の参加が認められたんです。その結果、最年少でオリンピック出場選手に選ばれることになったわけですから、つくづく人生は運なんだなと思います。

気丈な母に支えられて


 でも、オリンピック候補選手に選ばれてからがまた大変でした。親元から離れての強化合宿で、猛特訓が始まりました。その遠征費用も全部親が負担するのですから、私以上に両親は大変な思いをしたと思います。

 あるとき、母は練習を見にきて、あまりの厳しさに私を連れて帰ろうと思ったらしいんです。でも、ほかの選手の母親に「今帰ったら何も残りませんよ」と言われて、思いとどまったそうです。気丈な母は、一時は食堂を開いて生計を助けたりもしましたが、とにかく私をオリンピックに出させたい、その一心だったようです。

 その母が、オーストラリア遠征のときに、何かあったときのためにと、10万円のお小遣いを持たせてくれたんです。当時の10万ですから大金ですよね。私はうれしくて、オパールやらカンガルーのぬいぐるみやらいっぱい買って、全部使ってしまった。帰ったら、母にものすごく怒られて。それからしばらく、カンガルーのぬいぐるみを見ると、しゃっくりが止まりませんでした。

 母からはいつも「1番を狙いなさい。2番3番は同じだから」と言われ続けてきました。私の生年月日が昭和23年4月5日。「2345」と並ぶので、「1番はあなたのためにとってあるのよ」と。1番は厳しいけれど、それだけ大きな人生が開けるという、母なりの人生の方程式だったのだと思います。負けず嫌いの母は、88才になる今も元気にボウリングをしています。92才になる父を支え、わが母ながらすごい人だと思いますね。

 オリンピックで勝つというのは、大きなプレッシャーですが、その目標があったからこそ頑張れたんです。現役時代、仲間から「天才だ」と言われましたが、私はただコツコツと努力を続けただけ。練習でも納得できないときは、どうしてできないんだろうと考える。そして、また練習する。だから、毎日淡々とコツコツと続けられるかどうか、なんでしょうね。


日本大学卒業式

 そして、東京オリンピックが終わり、私は水泳をやめて留学しようと思っていたんですが、コーチに説得されて、日大に進みました。

 でも、その後は記録も伸びず、メキシコオリンピックを前に引退。そのときは悔しい思いもしましたが、今考えてみると、そのとき引退したおかげで、芸能界にも入り、自分でスイミングクラブを運営し、いろいろなことができるようになった。すべての体験が、今生きているんです。だから、どんなマイナスに思えることも、それを乗り越えればもっと良くなる、そう思います。

水泳で女性を元気にしたい!


中学2年。岡山国体
あこがれの田中聡子さんと

 10年前、女性による女性のための水泳大会「ウーマンズ・スイム・フェスティバル」を立ち上げました。昨年は、10回目の記念の年に、皇后陛下にもご臨席いただき、うれしかったですね。

 毎年オープニングにも趣向をこらし、交流のある芸能人の方にスターターをお願いしたり。スポンサーの会社にも協力してもらい、ファッションショーやファミリーリレーなど、多彩なイベントを用意する。

 最初は、マスターズ協会からもこんなに派手にしなくても、という批判もあったのですが、私はとにかく楽しい会にしたかったんです。毎年、スポンサーに頭を下げるのも大変ですけど、「元気な女性が多いから御社の宣伝にも協力しますよ」というと、喜んで援助してくれる。そんなコツもつかみました。

 この大会に参加できるのは、日本マスターズ水泳協会に登録している、18才から100才までの女性。昨年の最高齢はなんと94才!皆さん本当に元気なんですよ。赤ちゃんを背中におぶって会場に駆けつけたお母さんもいて、そういう姿を見ると感動しますね。

 やはり、女性は家庭の中の太陽ですから、まず女性が元気でないと。そのためには、体を動かし、目標を持って努力する。そのプロセスが大事なんです。何かをやり遂げた体験があれば、ご主人の仕事の大変さも、子どものことももっとよく理解できるようになると思います。

 それから、この大会にはオリンピックで活躍している現役の選手にも参加してもらっています。私が今こうして活動できるのも、オリンピックで顔と名前を多くの人に覚えてもらったから。だから、後輩たちの顔と名前も広く覚えてもらい、選手たちにも幸せな人生を送ってもらいたいと思っているんです。

 私は45才を過ぎ、自分に何ができるのかと考えたとき、これからは水泳に恩返しをしたい、そう思ったんです。この大会を立ち上げたのも、後輩をバックアップするのも、水泳界をもっと発展させたい、そんな思いからなんです。

ミミスイミングクラブで感動の日々


ウーマンズ・スイム・フェスティバル
出場者との触れ合い


ウーマンズ・スイム・フェスティバル
選手として


指導中

 これから、私がもっと力を入れたいと思っているのは、子どもたちへの水泳指導。どうやって楽しく水泳を教えるか。今、ミミスイミングクラブのキッズクラスでも、たくさんの子どもたちに教えていますが、地域によって子どもたちの反応がずいぶん違うのを感じます。

 地方に住む子どもたちに比べて、都会になるほど子どもたちの気持ちが荒れている。だから、家庭でも、花を飾ったり部屋をきれいにしたり、良い言葉をかけてあげたり、子どもたちの環境にも潤いが必要だと思います。

 キッズクラスでは、脱いだ靴をきちんとそろえる、そんなところから教えています。「躾」というのは、「身体に美しい」と書きますから、躾ができてないと人間は美しくないんです。昔は、親が忙しくて、子どもが家事を手伝うのは当たり前でしたが、今はほとんどしないでしょう。そうすると、子どもは自分のことも自分でできず、心のバランスを崩してしまう。自信がなくなって、キレやすくなる。すべてつながっているんですよね。

 でも、子どもたちのお母さんが手作りのおにぎりやお漬物を持ってきてくださったり、そんな心遣いがあるとうれしいですね。私自身、スイミングクラブで、いろいろなことを教えられました。

 若いころは、生徒さんができないと「何でできないの?」とイライラしたんですが、「先生、できないから習いにきてるんです」と教えられて(笑)。プールで浮かない人の体を触るとカチカチで、それなら関節を柔らかくする体操をしようとか、教え方も全部生徒さんからヒントをもらっています。

 ごくまれに、鉛のようにずっと沈んだままの人がいるんですよ。でも、そういう人が泳げるようになったら、ものすごく喜んで、お赤飯まで炊いてきてくれるんです。また、60才を過ぎてご主人を亡くした方が、そのつらい思いを水泳で何度も救われたと語ってくださる。それを聞きながら、私の方が救われた気持ちになるんです。水泳を通して、本当にいろいろな方から日々感動をいただいています。

 私は運動というのは「運を動かす」ことだと思います。私も今でも毎日千メートル以上泳いでいるんですよ。嫌なことがあったら、泳いで水に流す(笑)。過去は振り返らない。それが、自分自身の運を大きく動かしていくことになるんだと思います。水泳に出合って本当に良かった、心からそう思いますね。

(木原事務所にて取材)



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