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191号 注目の人 歌手・木版画家/ジュディ・オングさん

「木版画家『倩玉』(チュンユイ)が彫る日本の美
アジアがひとつになる平和の歌を歌いたい」
ジュディ・オング/歌手・女優・木版画家
Profile

ジュディ・オング/歌手・女優・木版画家
台湾生まれ。本名・翁倩玉。
3才で来日し、幼いころから子役として映画やテレビで活躍。
1966年に歌手デビュー。
79年「魅せられて」が200万枚を超える大ヒットとなり日本レコード大賞を受賞。
99年、チャリティコンサート「台湾大地震ハート・エイド」(東京)を企画・出演。
国内外でのコンサート、舞台・ドラマ出演、着物・食器のデザイン、講演など、幅広い活動を展開している。
また、木版画家としても活躍。日本家屋をテーマとした作品の評価は高く、日展入選8回をはじめ、数々の賞を受賞。日本各地のほか、台湾、ドイツなどで木版画展を開催。
主な著書は「ジュディバランス」(幻冬社)、木版画集「萬紫千紅」(近代映画社)。
6月4日~7月31日まで、名古屋市古川美術館・爲三郎記念館にて、万博開催記念の版画展を開催する。コンサートは5月18日東京国際フォーラムホールC、5月28日愛知厚生年金会館


木版画は歌や舞台と同じ

2才、兄と一緒に写真館にて

2才、兄と一緒に写真館にて

 木版画の世界に出会い、飛び込んだのは25才のとき。棟方志功門下の版画家・井上勝江先生の個展で、その白黒の世界に魅了されました。それまで版画というと日本の伝統的なものというイメージがあったけれど、井上先生の作品はとてもモダンでした。白黒のポピーの花に、赤が感じられたんですね。「これは何!?」と衝撃を受け、自分もやりたくなって。早速先生に「私、版画を習いたいです」と師事をお願いすると、先生はすげなく「無理よ」。女優業が忙しくて、続けることはとても無理と思われたのですね。

 でも断られたら、反対に燃えてしまって(笑)。家へ帰るなり、兄がステレオセットを作った残りのベニヤ合板に椿の絵を描き、彫刻刀を借りて彫っていきました。井上先生の個展の会期中に間に合うように大急ぎで。そして馬簾代わりにスリッパを使い、刷り上げて先生のところに持っていったんです。その板をご覧になった先生は、笑いながら「これなら続くのかな」と。板というものは通常正目に沿って彫れば楽なのに、彫り方を知らなかった私はひたすら頑固に四方八方彫っていました。板から「やりたい!」という気持ちが先生に伝わったようです。いまでもあのときの版木は大切に持っていますね。

 版画は、刀1本で彫り上げるもの。「はっきりしている」ところが私の性格に合っているみたいです。また版画は下準備がとても長く、スタートは下絵制作から。絵ならその時点で完成品なのですが、それからトレースを起こして、板に彫って、紙をはがして、刷るという工程。

 こうして長い工程を踏んでも、最後に刷ってみるまでどんな作品になるか分かりません。そういう意味では、舞台や歌と一緒ですね。歌なら選曲してリハーサルして、舞台なら役作りして稽古して、衣装決めて、メイクして、そして初日に幕が上がって初めて完成します。だからワクワクするし、とてもエキサイティング。機械ではない人間の身体が作るものだから、同じ板で刷ったものでも1枚1枚表情が違ってくるんです。そこが版画の面白さだと思いますし、私はそれを楽しんでいます。

 画の端っこの端っこまで気が抜けないのも舞台と同じ。脇役がしっかりしてこそ主役は引き立ちます。「ま、いいかな」と思って制作したものは、後で見返すと恥ずかしくなります。いま取り組んでいる作品は山形県酒田市の有形文化財「相馬楼」の夜景です。夜景を創作するのは初めてなので果たしてうまくできるか、ドキドキワクワクで取り組んでいます。もう心臓が止まりそうなほどです(笑)。

旅先のホテルで下絵を描いて

「微風柔水」製作風景

「微風柔水」製作風景

 版画制作にかける時間は、“1年の計”で捻出しています。3ヵ月は版画に色濃く取り組む時期と決め、やらなくてよいことは後に回します。そして次の3ヵ月はテレビ出演、コンサート活動に専念し、またその次の3ヵ月は日展に向けて作品を徐々に仕上げていく、といったかんじです。

 題材については、無理にしぼり出すことはないですね。ドキッとするものに出会ったとき、足が止まって「ああこれをやろう!」と心に決めます。顔に美しいアングルがあるのと同じで、風景にもドキッとさせるアングルがあるんです。ほかの仕事のときでもそんな風景に出会ったら、また後日そこに戻ってきて取材をします。スケッチや写真に撮りますが、最初に見た瞬間にすでに作品のできあがった姿が浮かんでいて、それを記憶として留めていますね。

 作品のモチーフとして心惹かれるのは、日本家屋。日本家屋は、日本の風土や哲学・文化を消化して生まれたもの。まさに究極の美です。私は3才のときに日本に来ましたが、そのシンプルななかに持つ力に、知れば知るほど楽しく美しく感じ入っています。

 一昨年は平等院鳳凰堂を100号の作品に仕上げました(「鳳凰迎祥」日展入選作)。夕暮れの平等院に座る阿弥陀様がフワーッと浮き上がって見えたさまに感動して。でもあまりにも雄大で、制作にはすごい時間がかかりましたね。「あー!終わらない、どうしよう」って焦りました(笑)。そこで旅先にも下絵を持ちこみ、ホテルの部屋に会議用のテーブルを2つ入れていただいて、仕事の合間を見つけては描いてました。下絵の紙も誰にも触らせずに抱えて歩き回りました。なぜかというと紙をぶつけたら傷がついて、その部分は色が染みてしまうからです。「お持ちします」と言われるたびに、「大丈夫です!」と断っていました(笑)。

「平等院鳳凰堂を刻った作品「鳳凰迎祥」

「平等院鳳凰堂を刻った作品「鳳凰迎祥」

 阿弥陀様のお顔を彫る日は、お線香を焚いて、手を塩で清めて、「いまから彫らせていただきます」とお経を唱えながら臨みました。もちろん間に食事もとらず、一気に仕上げました。私にとってはとてもスペシャルな時間でしたね。こうしてエネルギーを最後の一滴まで使い切って、作品を仕上げた後は毎日寝てばかりでした(笑)。

 この作品は今春、宇治平等院に奉納されることになりました(4月10日まで一般公開)。今回奉納するきっかけとして、これから「倩玉」という本名を使った雅号で作品を発表したいと考えています。歌手のジュディ・オングが描いたものでなく、純粋にひとつの作品として見てもらいたいから。そして“北斎”のように、後世にも作品としてずっと残ってほしいのです。

想像するだけで「気」は身体に入る

 若々しく元気でいられる秘訣は、自分の細胞と話ができるかどうかだと思います。その日その日のコンディションをキャッチして、それに合った食べ物を食べることが大切ですね。私は薬膳や気功を生活に取り入れています。

 元気になるには、エネルギーの一種である“気”を身体に採り入れるといいんです。私たちはいいものを見ると、すごく元気になるでしょう。これを「採気(さいき)」といいます。身体に入ってくるのが見えるくらい、気がいっぱい入ってきて元気になれます。

 難しいことはありません。頭で想像するだけでも、気は十分入ってくるんですよ。いいことを想像して「うわー、気持ちいい」って思うだけで、身体も温かくなるんです。生きていることは素敵だと思えてくる。プラス思考のイメージトレーニングですね。

 「自分の人生に興味を持つ」。これが、生きるパワーの源になると思います。それにはワクワクと好奇心を持って生きることです。「○○をしてみたい!」「あの人と話をしてみたい!」とか。そんな好奇心が、1人の人間を素敵にしてくれます。好奇心のない人生なんて、つまらないですよ。

第二の矢に撃たれないで

 失敗したことにいつまでもクヨクヨしていると、かけがえのないものまで失ってしまう。私は「第二の矢には撃たれない」という言葉を座右の銘にして、自分を勇気づけています。

 第一の矢とは何か災難が起きることで、第二の矢はそのことにずーっとクヨクヨ思い悩んだままでいることです。この言葉には、こんなエピソードがあります。ある将軍の息子が突然矢に射られてしまいました。将軍は矢を放った者は誰か、どうしてこんなことになったのかと騒ぎ、その間に息子は毒矢の毒が回って死んでしまった、という話です。射られたときすぐ矢を抜いて対処していれば、息子の命も助かったかもしれないですよね。

 つまり起きてしまったことにいつまでも悩んで先に進まないと、第一の矢(失敗そのもの)のダメージより10倍も20倍も時間や精神力、エネルギーをとられてしまい、大切なものまで失ってしまうということです。第一の矢は避けられなくても第二の矢は避けらますし、もし射られても自ら抜くことができるわけです。

 元来女性は、第二の矢を抜くのが上手なはず。産みの痛みも知っているし、大地震が起きてもたくましく行動したのはやっぱりお母さんたちでした。子どもがおなかをすかせます。悩んでばかりはいられないですよね。

 起きた問題について座して考え続けることは、第二の矢に射られる状態。たとえ第一の矢に射られても射られっぱなしにならず、「こんなことしている場合じゃない!」と矢を抜こうとする気持ちを持つことが、生き生きと元気でいられる秘訣だと思いますね。

努力の先には楽しさが待っている


 愛犬のパール(ウエストハイランドホワイトテリア)はミレニアム生まれの5才。私が無意識のうちに声を荒げていると、「そんなに怖い声出しちゃダメよ」と教えてくれる(笑)。無償の愛を注いでくれる存在ですね。

 愛し、愛される存在があるということはとても良いことだと思います。よく皆さんに「お子さんに愛情をかけて」と言うんですが、子どもをこよなく愛すれば、愛情をたっぷり受けたその子は親だけでなく、友だちや環境にも愛を返していきます。反対に受けなかった子は、愛が何かわからない。愛情をたっぷりかけることは、甘やかすこととは違います。

 一方で自分に対しては甘やかしてはいけません。私は外国人だったこともありますが、サクセスしていくためには人の3倍の努力がいりました。努力というと、イコールつらいことではありません。努力していけば、そのさきには“楽しさ”が待っています。努力が実れば楽しくなりますから。

 今年は「魅せられて」を歌ってから25年になります。現在歌の世界は、国を越えてボーダーレスにつながってきました。私自身は 30年前から1人でボーダーレスにがんばってきたんですけど(笑)。いままでは日本は日本、台湾は台湾といったふうに、メディアの扱いもその国だけのものでした。私が台湾で一万人コンサートをやっても、日本ではあたりまえ扱い。でも現在は韓流ブームにもみられるように世間の意識もボーダーレスに変わってきて、とてもいい時代が来たと喜んでいます。「大体ジュディはやることが20年早いんだよ」と作曲家の中村泰士さんから言われましたけどね(笑)。

 そういった経験を生かして、これからはアジア圏の国々で、文化の橋渡し的役割を担っていきたいです。社会的活動も続けていきます。かつて台湾大地震のとき、有志を募ってチャリティーコンサートを企画しましたが、紅白歌合戦並みの方々に出演していただき、すばらしいコンサートになりました。そういったことを自分なりにできる範囲でやっていきます。

 そしていま、ぜひやってみたいことがあります。それは、アジア全体で歌われるような平和を祈る歌を作ること。歌詞はそれぞれの国の言葉で違うけれど、平和への思いは一緒。それを歌うことでアジアの国々の人たちがみんな心をひとつにできる歌。そういう歌って、いままであるようで実はないんです。そんな歌をいろいろな国の言葉で歌いたい。それがいま、私の胸に温めている夢なんです。

(ジュディ・オングさんの事務所にて取材)



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