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187号 注目の人 エッセイスト/安藤 和津さん

「介護を通して深まった家族の絆」
安藤 和津/エッセイスト
Profile

安藤 和津/エッセイスト
東京生まれ。
初等科から高校まで学習院に学ぶ。
上智大学独文科卒業後、イギリスに留学。
エッセイストやコメンテーターとしてテレビ番組に出演。
著書は『愛すること 愛されること』他多数。
夫は、俳優・映画監督の奥田瑛二氏。


母の病気が判明するまでの葛藤の日々

 この夏、「オムツをはいたママ」という本を出しました。今まで母の介護については、親しい友人にもあまり話したことはなかったのですが、母との長い格闘の中で、家族の絆や介護のあり方など、いろいろなことをあらためて考えさせられました。

 今年81才を迎えた母が、脳腫瘍と診断されたのは、6年前のことでした。思えば、その何年も前から、母の行動は常軌を逸し、病気の兆候は現れていたのです。

 料亭の女将として、女手一つで私を育て上げてくれた気丈な母。もともとカラッと明るい江戸っ子気質で、短気なところもある母でしたが、いつごろからか、ほんのささいなことでもヒステリーを起こして、物を投げたり、怒鳴り散らしたりするようになって、私と母の間には、しだいに深い溝ができていました。

 母は、孫の世話を生きがいにしていて、2人の娘のお弁当も毎朝作り、私には一切手出しさせてくれませんでした。でもある日、「たまには、ママが作ったお弁当が食べたい」という娘のために、私は早朝から一生懸命お弁当を作ったのです。それなのに、気が付いたら、ゴミ箱に全部捨てられていて…。

 なぜここまでするの?悔しくて、悲しくて、私は母を許せませんでした。心の中で「早く死んでしまえばいい」とさえ思ったほど。
あまりにもいろいろなことがありすぎて、そのころことはよく思い出せないんです。きっと、自分の記憶の中に刻みこみたくもない日々だったんでしょうね。

 でも、母の自慢だった料理も味付けがおかしくなり、お鍋の空焚きも日常茶飯事という危ない状態になってきたので、検査入院して脳のMRIも撮ってもらうことになったのです。

母に愛情でお返ししたい

 そして、私と主人(奥田瑛二氏)がロッテルダム映画祭に招かれて1週間後に帰国したその日、病院から電話で呼び出されました。レントゲンを見せてもらうと、頭部には、テニスボールほどの大きな腫瘍が写っていました。

 「はっきり申し上げて、明日逝かれてもおかしくない状態です」。

 それが、6年前の医師からの言葉でした。

 私はあまりのショックで体が震え、涙が止まりませんでした。その夜、それまで母を憎み続けていたことを心の底から詫びたのです。

 そして、私が憎み続けていた「悪魔」の正体は、母ではなく、脳腫瘍という病気だったのだ。それが分かったとき、ものすごく救われた気持ちになったのです。本来は優しく誰よりも愛情深かった母の姿が心の中によみがえり、母への熱い思いがあふれてきました。


 あと母に残された時間はどれだけあるのか。母が1日でも長く、幸せに生きられるように、今までの分の償いをしよう。自分が後悔しないように、精一杯愛情でお返ししよう。私はそう決意したのです。

 そうして、私たちが母の病気を受け入れたときから、母もだんだん穏やかになりました。きっと、それまで私たち家族が母をうとましく思い、見えないバリアーを張っていたことを母も敏感に感じていたんでしょうね。本当に人と人との感情は鏡でもあるんですね。

介護制度の問題点

小学校入学 安藤さん(左)お母さま(右)

小学校入学 安藤さん(左)お母さま(右)

 それから、悪戦苦闘の介護の日々が始まりました。食事も母が喜ぶような献立を考え、どんなに忙しくても、仕事の合間に家に帰って食事の支度をし、夜中は何度も母に起こされて、ほとんど寝る間もありません。というより、たとえ4時間でも、十分な睡眠をとったり、自分が楽をすることに罪の意識を感じていたのです。自分の肉体をいじめればいじめるほど、母にお返しができる、そんな錯覚に陥っていたのでしょう。自分でも、本当によくやってきたなと思います。

 でも、仕事を休むこともできず、私自身、体力的にも精神的にも限界を感じ始め、とうとう、24時間の介護ヘルパーをお願いすることになりました。

 ところが、今度は介護制度の大きな問題に、ぶつかることになったのです。まず、一番大変だったのは、健康管理や細かい配慮のできないヘルパーさんが、いかに多いかということでした。

 うちの母の場合は、糖尿病と高血圧なので、くれぐれも塩気の多い食べ物は控えてほしいとお願いしたにもかかわらず、気になって朝食を見てみると、塩鮭、タラコ、梅干などがずらりと並んでいて、思わずギョッとしてしまいました。また、ヘルパーさんの介護中の不注意で母が転倒し、救急車で運ばれるという一大事になったことも。もちろん、中には経験や知識が豊かで人間性にあふれた素晴らしいヘルパーさんもたくさんいらっしゃいますが、介護ビジネスが盛んになっている反面、その教育がきちんとなされていないのではないかと思います。今、介護保険や制度の見直しがなされていますが、自分が直面してシステムそのものに矛盾や問題があまりにも多いことに気がつきました。これから、ますます高齢化が進む中、きちんと対策を考えないといけないなと痛感しています。

 人が人を介護するというのは、単なるビジネスではなく、やはり人に対しての愛情がなければいけないと思います。まず、ヘルパーになろうとする方は、その仕事の責任をきちんと認識してほしいと思います。それと、お願いする側も、自分たちの代わりにやってくださっているという感謝の気持ちを忘れないこと。すべて人間の気持ちの問題なんじゃないかしら。私もうちに来てくださる方には、「家族の一人だと思ってお付き合いくださいね」とお願いしています。でも、相性もあるし、なかなか難しい場合もありますね。

 それから、家庭の中で介護をする場合、どうしても女性に負担がかかりますが、やはり家族のサポートがとても大切だと思います。もし、時間がなかったり、物理的なサポートが難しければ、言葉の一つでもかけてあげてほしい。寝たきりのお年寄りに「おはよう」「大丈夫?」と声をかける。介護をしている人にも、その大変さを理解して、「お疲れさま」と優しい言葉をかけてあげる、それだけでも随分違うのです。何よりも家族がみんな一緒に介護をしているんだという気持ちを持つ。それが一番大事なんだと思います。

介護を通して深まった家族の絆

講演会の様子

講演会の様子

 うちの場合は、夫も子どもも、みんなが少しずつでも協力してくれたので、私もなんとか乗り越えることができたんだと思います。母の介護を通して、夫を見直したことも何度かありました。ある日の明け方、「トイレに行きたい」という母の声で目を覚まし、バスルームに運んだまではよかったのですが、そのまま母がフラフラと倒れ、75キロの体を支えたまま身動きできなくなってしまったのです。そのとき、仕事から帰ってきた夫が助けにきてくれ、ひょいっとおんぶしてくれたんですよ。それも母の下半身はスッポンポンのまま(笑)。

 そのとき、この2人は本当の親子になったんだなと思いましたね。お互いにキャラが強く似たもの同士なので、結婚してから、いつも対立していた2人。でも、母は無名時代からずっと面倒を見てきたので、俳優「奥田瑛二」の半分は自分が作ったと思っているんでしょうね。夫もそういう母に情を感じていて、ほかの人からはいつも「奥田さんのお母さんですか」と聞かれるほどでした。

 2人の娘も、小さいころから母の愛情をたっぷり注がれて育ってきたので、母が介護が必要な状況になっても、自分にできることを精一杯手伝ってくれました。母の表現方法は強烈ではあったけど、孫のことも、夫のことも本気で愛し、かわいがった。それがちゃんと伝わっていたんだと思います。

 私自身は、母の深すぎる愛情ゆえか、1から10まで干渉されて育ったので、自分の子どもには思い切り自分の好きなことをさせてあげたいと思っていました。 2人の娘は今、上の子は芸術、下の子は舞台と、それぞれの目標を見つけたようですが、できるだけその夢を応援したいと思っています。

 母の介護が始まってから、娘たちとも本音で話し合えるようになった気がします。家族が一つになって母の世話をすることで、家族の絆がさらに強くなったんでしょうね。最近は、ちょっと燃え尽き症候群(笑)のようですが、母に対しては、まだまだやってもやっても足りないという気持ちでいっぱいです。でも、私たちの気持ちは母も何か感じてくれているのかもしれません。

奇跡を信じて


二人のお孫さんと並ぶ、笑顔のお母さま

 実は、今年の5月、母は1度危篤状態に陥り、当初は3日がヤマと宣告されていたのに、奇跡的に持ち直してくれたのです。おかげで、ロンドンに留学している娘の卒業展覧会にも夫と2人で行くことができ、帰国後病院に直行すると、そこにはまるで植物人間のような母が寝ていました。

 たくさんの管を通され、何の反応もしない母。私も疲れて具合が悪かったので、母の横で椅子に座り、娘と会話していたのです。そのとき、何も言葉も話せないはずの母が、私のことを心配している、そんな気配がフワーッと伝わってきたのです。不思議なことに、娘も同じことを感じていました。思わず、「私のこと心配してくれたの?声が聞こえる?」と耳元で声をかけました。何の反応もないので、「じゃあ、まばたきしてみて」と言うと、なんと、ゆっくりとまばたきをしたのです!その日から、最初はまばたきでアイコンタクトを始め、次は首を動かして頷けるようになり、ついに声を出してしゃべれるようになったのです。まさに奇跡ですよね。

 もし、最初の小さな合図、まばたきを見逃していたら、こういう奇跡は起きなかったかもしれない。もし、植物人間だから何も分からないと、私たちが決めつけてしまっていたら、母が喋れるようになるきっかけを失ってしまったかもしれない。だから、周りにいる人が、絶対にあきらめないことが大事だと思います。

 私は人間ってすごい可能性を持っているんだと思います。今までに母は何度も奇跡の生還を繰り返してきたから、母のパワーは、お医者様じゃあ分からない(笑)。私たちがよくなってほしいという気持ちだけでそばにいるから、母もそれを感じるんだと思います。だから、植物人間の状態だからといって、その人のそばで遺産相続の相談は絶対にしないこと(笑)。やっぱり、人間は最後が肝心だから、人生の最期も幸せであってほしいじゃないですか。そのためには、家族の愛情が何よりも必要だから、1日でも長く幸せな日々を送ってほしいという気持ちで介護してあげてほしいと思いますね。それには、介護する方もあまりすべてを背負いすぎないで、自分自身も大切にしてほしい。私自身の反省からも、介護で疲れてくるとイライラしてしまうので、他の人の手も借りることも必要だと思います。介護はみんなでするものですから。

 今は、毎日母の部屋を訪れるたびに、これで最後かなと思いながら、仕事にでかけます。1日中母のそばにいてあげられないことが心残りですが、でも、私は奇跡を信じます。たとえ1分1秒でも長く、母には幸せに生きてほしい。

 私も家族も、母の介護から、1番大切な「愛」をもらったような気がします。そんな母に、今は心から感謝しています。

(東京都港区にて取材)



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