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184号 注目の人 女優/岸田 今日子さん

「ムーミン谷こそわが理想郷。自然や大地とともに生きる人々に、深く憧れているの」
岸田 今日子/女優
Profile

岸田 今日子/女優
東京都生まれ。自由学園高等科卒業後、文学座へ。
1950年に「キティ颱風」で初舞台を踏む。映画「破戒」などの演技で毎日映画コンクール助演女優賞、「砂の女」でブルーリボン助演女優賞を受賞。
文学座脱退後、劇団雲を経て、1975年に演劇集団「円」を創立参加。日本を代表する名女優として舞台、テレビ、映画で活躍を続けている。
また、アニメ「ムーミン」(ムーミン役)の声優をはじめ、詩や小説の朗読家としても人気。
エッセイスト、作家としても才能を発揮し、「子供にしてあげたお話してあげなかったお話」など著書多数。
10月1日~14日まで、浅草田原町のステージ円にて、別役実氏の書下ろし新作「トラップ・ストリート」に出演する。地図製作者がひそかに書き入れた、誰も知らない偽の道をめぐるストーリー。


割り算ができて、大人になった?


 何のトリエもなく、ウスボンヤリ。それが私の子ども時代でした。社交的な姉に対して、母親のスカートのすそにいつもつかまっているような内気な子どもだったのね。

 ただでさえボンヤリしているのに、父(劇作家で文学座を創設した岸田國士氏)の「学校なんて早く出たほうがいい」という考えのもと、4月生まれを3月生まれにされて、1年早く小学校に入れられた(笑)。幼稚園も行っていなかった私は、本当に戸惑いましたね。

 謙遜じゃなくって、本当にわけの分からない子だったみたい。先日父が親しくしていた方のお嬢さんが出した自叙伝を読んだんですが、そこに父が登場して『姉のほうはなんとかなるけど、妹のほうはどうも…』と困っていたと書いてあった(笑)。そう他人さまの本に書かれてあるくらいだから、本当に将来を心配させるような子だったんでしょう。

 私、小学校5年生になっても割り算ができなかったの。通っていた学校は通信簿がなかったから、親は私が割り算すらできないことを知らなかった。でも、たまりかねた担任の先生が母に事実を伝えると、母はあぜんとして、私に割り算を教えてくれました。こうして割り算が理解できた途端、「割り算ができたから、もう大人になった!」と思い込んだの。以来勉強がわかり出し、父の書庫にこもって本を読みふけるようになりました。ビアズレーの退廃的な挿絵が印象的な「サロメ」も、夢中で読みましたね。小5から中2にかけて、人生で読む本の3分の1くらいの量をこのとき読んだ。だから「割り算」が、私にとっての人生の転機だったかもしれない(笑)。

 とにかく母親なしには片時もいられない母親っ子だったんですが、そんな日々が終わりを告げたのは12才のとき。その母が亡くなりました。いつもつかまっていたスカートが突然なくなり、私はこの世で甘える相手を失ってしまったのです。「これから一人きりで生きていかなきゃならないんだ」と思いました。

 あの日以来今に至るまで、私は人に一度も甘えたことがありません。母と別れたあのとき、私は精神的な自立をしたのでしょう。

女優として生きることを決意した瞬間

ムーミンの声をしていたころ

ムーミンの声をしていたころ

 高校の卒業が迫り、トリエのこれといってなかった私は進路を決めかねていました。そんなとき、文学座付属養成所の募集チラシを手にし、戯曲と美術に興味があった私は、舞台装置がやってみたくて受験しました。結局父は「女優にならない」約束で入所を許してくれ、そこに1年間いて卒業というとき、「キティ颱風」という舞台のオーディションがありました。舞台美術志望の私も含め50人が受験したら、なんと私が杉村春子さんの娘役に選ばれたんです。19才のときでした。

 父は大反対。でも、それまで人に一度もほめられたことがなかった私は、ものすごくうれしくて絶対やりたいと思ったの。「この1回だけ」という約束で演じてみたら、稽古がもう楽しくて。そうそうたる出演者に囲まれて舞台を踏んだとき、「私でない、私が出てきた」んです。女優として生きていくことを、このとき決意しました。

 お嫁に行くとかいう考えは、なぜか全然頭になかったわね。

幼稚園生の娘を連れて

 アニメ「ムーミン」の声優の仕事をするきっかけになったのは、娘なんです。当時幼稚園生だった娘は私が仕事に行くとき、いつも「どこ行くの?」って聞くわけ。「仕事」って答えると、「どんな仕事?」と。女優って外に出て行かなければできない仕事だけど、それをどう子どもに説明していいか分からなかったのね。そこで母親が一体どんな仕事をしているか見せようと思い、引き受けたんです。幼稚園帰りの娘を、よくスタジオに連れて行きましたね。そこで娘は「こういう仕事やってるんだ」とわかったみたい。いま娘は35才ですが、ムーミンは彼女にとって、特別な思い出深い作品になったんじゃないかしら。

 また、かねてからトーベ・ヤンソンの原作は愛読していました。あの話は、ヤンソンさんが自分のために書いたともいえる話。彼の理想の世界、宇宙を表したものなの。

 限りなく自由で、大人は働かない、子どもは勉強しない。人間やカバに似ている生き物も、ニョロニョロみたいな魔物も、妖精も何もかもみんなが同じ価値で生きている。そんなフィンランドの森の奥深くにあるムーミン谷は、ヤンソンさんの理想の社会を描いたもの。あの原作に、私はたいへん感銘を受けましたね。

成功確実なことなんてつまらない

舞台で朗読する

舞台で朗読する

 子どもに本を読み聞かせるときのコツは、その登場人物になってみること。たとえば象と猫が出てきたとしますね。そこで象の声色を工夫して出そうとしてもなかなか出せない。だから頭で考えず、象の私をイメージする。すると身体の細胞が象になって、象の言葉でしゃべれるような気がする。次に猫が出てきたら、「私は猫」と信じるのね。私はそうやって朗読しています。難しいと感じるかもしれないけれど、やってみるとなかなか楽しいものですよ。

 それから子どもに本を読んであげる場合、お母さん自身がその作品を好きかどうかが大事。義務では伝わらないんです。その作品のどこかを好きになることですね。

 これは女優の仕事にも通じること。たとえば私はイヤな人の役をやる場合、その人物の魅力のある部分を探します。イヤな人間には「イヤ」という魅力があるわけだから。逆に「いい人なのに、どうしてこんなに魅力がないんだろう?」って感じる人もいますけどね(笑)。

 評価の定まった名作より、これから書かれる未知の作品を演じていきたいですね。石橋を叩いて渡るというけれど、私は逆で「腐りかけた橋でも叩かないで渡る」性格。

 この仕事って普通では考えられない危なっかしいことがあるけれど、私ってそういうマイナスのことがまたやりたくなってしまうタイプなのよ。だって最初から絶対成功すると分かってることなんて、やってもつまらないでしょ?

子ども扱いしない子どもの芝居を創る

 毎年クリスマスに、「円・こどもステージ」という舞台を企画して30年になります。始めたきっかけは私の困った経験から。娘が子どものとき、いわゆる子ども向けの芝居に連れていったんですが、一緒に見ている私はつらくてね。舞台のお兄さんの「こんにちは!」に、答えなければならないときは特に(笑)。だから大人も子どもも、それぞれの楽しみ方で楽しめる舞台を創りたかった。絵本や童話にはそういった素敵なものがあるのに、どうして舞台ではないのかと感じ、幼なじみの詩人の谷川俊太郎さんや演出家の小森美巳さんを誘って始めたわけです。

 毎年同じところで続けることに意味があると思い、現在は両国のシアターX(カイ)でやっています。上演するのは日本人が書いた創作劇。観客の対象は3才から83才まで。小さい子でも分かる部分が少しでもあれば、それでいいの。私たちだって本を読んでも、分からないところがずいぶんあるじゃない。でもそのときは謎でも、いつか分かるときが来るんです。 そもそも子どもって年齢じゃないのね。小さいのにどうして分かっちゃうんだろうという子もいれば、大人なのに分からない人だっている。

 同じ部屋のなかで、同じ空気を吸いながら、汗も涙も見えるところで生身の人間が演ずる舞台を子どもたちに見てもらいたい。テレビと違って、食べながら観ないといった礼儀も自然と分かってくるはずです。

 私、お説教は好きじゃない。でもやっぱり「生きてるって楽しい」ことを子どもに見せたい。大人が楽しむ姿を見せることで、子どもたちが何かを感じてくれたらそれでいいんです。

忘れられない天国のあの風景

両親と姉と(右端が岸田今日子さん)

両親と姉と(右端が岸田今日子さん)

 いま娘一家と暮らしているんだけれど、7才になる孫を「弟」と呼んでいます。私は娘夫婦の長女という設定。だからこの春生まれた孫も合わせて、いま「弟」が2人います(笑)。「上の弟」は私のことを「今日子ちゃん」と呼ぶし、彼のお友だちもそう呼んでくれる。いまだに周りで「おばあちゃま」なんて私のこという人もいますけどね。

 私、アボリジニやジプシーといった、自然と一体になって暮らしている人たちに、深く憧れているんです。スペインの詩人のロルカはジプシーのことを、「彼らは月や星と直接取引している。自分は教育なんか受けてしまったから、それができなくなった」と表現した。私はその言葉を聞いたとき、とっても共感したの。私も月や星と取引するような知恵を失ってしまっている、とね。しいたげられながらもさまよい続ける彼らは、自然に近い、特殊な素朴さを持っていると思う。少なくとも文明人と呼ばれる人たちより、地面や木にずっと近い。私たちがなくしてはいけないものを持っていることに、郷愁も含めて憧れます。

 いままで見たなかで1番好きな風景は、昔、インドで出合った道。明け方のモヤが立つ道に、ありとあらゆる動物が自然に居たんです。ロバの荷車に人が寝そべり、牛がその隣をノソノソ歩き、犬や豚は子どもの傍らでうんちを食べてて、象やらくだ、 猿、孔雀もいて…。本当はそんなにいなかったかもしれないけれど、何がいても不思議でない、地球ができたときの天地創造ともいえる天国の風景でした。あの風景を、いまだに忘れられないんですよ。

 そうして世界を見渡すと、どこかの国が核兵器を持ったの持たないだのってやり合っているのが本当に馬鹿馬鹿しいことに思えてくる。誰もかもが同じレベルで、それぞれ価値を持って生きている世界。そう、あのムーミン谷のように。大人が働かない、子どもは勉強しないって、みんながなっちゃっていいのかどうかは別としてね(笑)。

(東京都渋谷区・明治神宮文化館にて取材)



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