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179号 注目の人 少林寺拳法グループ総裁/宗 由貴さん

「自信から、勇気も行動力も生まれる。それを社会に役立てたとき、
大きな喜びとなって、返ってくるんです」
宗 由貴/少林寺拳法グループ総裁
Profile

宗 由貴/少林寺拳法グループ総裁
1957年、香川県生まれ。
1980年、少林寺拳法の創始者である、父・宗道臣の後を継ぎ、少林寺師家第2世宗道臣を襲名。
金剛禅総本山少林寺管長、日本少林寺拳法連盟会長、学校法人禅林学園理事長、少林寺拳法世界連合会会長に就任。
2000年、少林寺拳法グループ総裁に就任。長年に渡る日中交流事業が評価され、2003年中国政府から国家友誼賞が授与される。
現在、青少年育成国民会議理事、日本アジア交流協会理事など、多くの要職を兼務。2003年、少林寺拳法知財保護法人代表理事に就任。


「人づくり」が少林寺拳法の目的


 私が少林寺拳法の創始者である父の後を継ぎ、第2世・宗道臣を襲名したのは、22才のときでした。 高校生のとき、大学に行きたいという私を前に、父は「お前の4年間を、お父さんにくれ」そう言ったのです。その真剣さに負けて、私は父の秘書としての道を選んだのです。そして、その4年後69才で、父は急逝しました。思えば、何か予感があってのことだったのかもしれません。

 父の後継者として、私が突然、組織のトップに立つことになったわけですが、武道という男性社会で女性がトップを務めるのは、当時は前代未聞のこと。その上、私は小学生のときに膝を痛めて以来、少林寺拳法の練習から離れ、段も持っていないのです。

 普通に考えると、すべてマイナス要素ばかりですから、最初は辞退したのですが、役員会で「組織を分裂させないでほしい」との要請を受け、就任を決意しました。

武道や格闘技の団体では、世代交代のときに新しい流派ができ、分裂してしまう場合が多いのですが、その中にあって、世界で唯一流派を持たず、1つの組織にまとまっているのは少林寺拳法だけです。いろいろな考え方を持つ人たちを1つに束ねるのは大変なことですが、私は組織の一本化を守り通してきました。

 なぜか?というと、少林寺拳法には、「人づくり」というはっきりとした目的があるからです。その本来の目的に向かって会員の心を1つにまとめあげたい、私はこの二十数年間、ずっとその思いだけで突っ走ってきた気がします。

武道は、本来楽しく磨きあうもの

宗由貴さんと父、故・宗道臣氏

宗由貴さんと父、故・宗道臣氏
(1980年 中国上海にて)

 昭和22年、香川県多度津町で、父は少林寺拳法を創始しました。中国で学んだ武術と、自らの体験や理論を体系化し、新しい武術として生み出したのです。父は、戦後の荒廃した日本を見て、「平和で豊かな国を復興するためには、勇気と慈愛にあふれた若者を育てよう」と心を決めたのです。少林寺拳法の基本にあるのが、「力愛不二」、「拳禅一如」という考え方です。つまり、力と愛が調和した状態が理想の人間像であり、肉体と精神、その2つの修行によって、初めて自己確立が可能になる。

 こういう父の考え方の1つのヒントになったのが、1枚の絵でした。中国・河南省の嵩山少林寺には壁画がありますが、そこにはインド人と中国人の僧が2人1 組になり、楽しそうに武術を練習している姿が描かれています。それを見た父は、武道というのは人を倒すためのものではなく本来は楽しくお互いに磨き合うものでなくてはならないと思ったのです。

 さらに、嵩山少林寺は達磨大師が禅宗を開基した地としても知られ、修行法の1つとして武術を伝えたといわれています。ですから、自分の心を見つめ、心と体を鍛えるための方法が、少林寺拳法なのです。

何のために少林寺拳法を学ぶのか?

 現在、世界30ヵ国に広がり、登録会員は約150万人にのぼります。父はその晩年、とても悩んだ時期がありました。というのは、技術の魅力に人は集まったものの、本来の目的である「人づくり」どころか、自ら問題を起こす指導者が出てきたことに、非常に心を痛めていたのです。私もトップに立つようになって初めて父の悩みがよくわかりました。

 そして、このままではいけないと思った私は、ちょうどトップに就任して7年目、創始40周年で全国の拳士に向かって問いかけをしました。「鍛えた拳はどこへ行く…」。つまり、一体あなたたちは、何のために少林寺拳法を学んでいるの?その力を人のために役立てなければ本物ではない、と。

 この発言は、ものすごく波紋を呼びましたね。でも、私は真剣でした。もし、ついてくる人がいなければ辞める覚悟でした。2年間全国を回ってキャンペーンも行いましたが、初めて全国の会員と、率直な意見をぶつけあうことができ、私にとっても、とてもいい体験になりました。

 そのころは、私自身が異物のような孤独感を感じていたのですが、だんだん賛同してくれる人が増え、みんなの意識もずいぶん変わりましたね。

 私は最近タイタニックに例えるんですが、組織が巨大化すると、早めに方向転換しないと手遅れになってしまう。だから、ときどき大きな衝撃を与えて、地震を起こさないといけない(笑)。

 そして、人のために生きるとはどういうことかを伝えるために、海外に行ってドキュメンタリー映画も作りましたよ。東西の冷戦構造時代にソマリアの難民キャンプに行ったり、まだ三派のゲリラが活動している時代にタイとカンボジアの国境に行ったり。

 ソマリアって、日中は40度ぐらいの暑さなんですよ。そんなところに行くと少林寺拳法の技は何の役にも立たない。面白いことに、同行した高段者より私の方がずっとタフでした。何を食べても平気だし、どこでも寝られる(笑)。私には技はないけれど、精神力の強さは、父に鍛えられたと思っています。

子どもからのクリスマスカードが私の宝物

アフリカ・ソマリアの難民キャンプにて

アフリカ・ソマリアの難民キャンプにて

 父は、明治生まれで本当に厳しい人でした。自分の娘でも弟子と同じように育てられたんです。その反面、とても愛情深くて、感謝の気持ちや思いやりをさりげなく伝えるのが上手でしたね。だからこそ、父の周りにはたくさんの人が集まったんだと思います。

 私自身にも2人の息子がいますが、父が私にしてくれたようには、なかなかできなかったと思います。何しろ1年の半分は東京にいて、あとは地方や海外の仕事。四国の家にいるのは、週に1日か2日ぐらい。やはり、女性が第一線に立つには男性の倍以上、努力しないと認められない。いつも子どもには申し訳ないと思いながら、でもこういう生き方もわかってほしいと願っていました。

 そんな気持ちがどこまで伝わったかなと思っていたのですが、つい最近とてもうれしいことがあったんです。

 昨年の暮れ、ロンドンに留学している長男からクリスマスカードが贈られてきたのです。そこには、詩が書いてあって、

 「いつもがんばっているサソリちゃんが、大好きだよ」って。サソリっていうのは、私のあだ名なんですが、もううれしくて30分ぐらい泣きましたよ。ちょうど、精神的に疲れているときだったんですが、それを見てがぜん元気になって(笑)。そのカードは、いつも持ち歩いています。私の宝物ですね。子どもには、いつも淋しい思いをさせていたのに、ちゃんとわかってくれていたようです。

「半ばは自己の幸せを半ばは他人(ひと)の幸せを」

 私の場合、後継者としてはすべてマイナスから出発したわけですが、私は逆にそれを生かす方法を考えてきたんです。技も何も知らない私に、何ができるのだろうかと、みんなの役に立てることを探し続けてきました。でも、それは私にとってとても楽しいことだったんです。人から必要とされ、頼られるときが1番うれしいですね。

 いつも父が言っていたことの1つに、「半ばは自己の幸せを。半ばは他人(ひと)の幸せを」という言葉があります。これは、自分を大事にするように、ひとも大事にするという考え方です。

 少林寺拳法の修行のあり方も同じで、1つの円につながっているんです。例えばいつもいじめられていた子どもが、技を覚え強くなるとだんだん自信がついてくる。少林寺拳法では、人との競争ではないので、技ができるとみんなで喜び合うんです。そういう中で自信が深まると、勇気や行動力が湧いてくる。そこまでが自己確立で半分の円ですね。

 そして、その勇気や行動力を何に使うのかが重要で、それを他人や社会のために使っていく。そうすると、その喜びがさらに大きくなって自分に返ってくるんです。それがあとの半分の円で、スパイラルのようにつながっていくわけです。

社会を変えていく、リーダーを育てたい

少林寺拳法創始50周年キャンペーンにて

少林寺拳法創始50周年キャンペーンにて
(福岡)

 そういった、「円の効果」を大切にしたいと、毎年5月に「開祖デー」を設け、全国で様々なボランティア活動を行っています。最近は、海外でも自主的に行われるようになりました。インドネシアやヨーロッパなどでも会員が増えているんですが、興味深いのは、タンザニアでの活動です。

 タンザニアは非常に蒸し暑い国なので、マラリアの蚊が大量発生するんです。そこで、少林寺拳法を学んでいる人たちが町中の生ゴミを集め、薬を撒いて土に埋めることを始めました。最初は、冷ややかな目で見られていたそうですが、1年2年と経つうちになんと、マラリアが減ってきたんですよ。それに気づいた人たちがどんどん真似をするようになって。これってすごいことですよね。

 それを聞いて、父が目指していたのは、こういうことだったんだと思いました。つまり、最初に社会を変えるきっかけを作る人、リーダーを育てようとしていたんです。

 この「開祖デー」での活動を通じて、子どもたちがどんどん変わっていくのもうれしいことです。ある子どもが、老人施設での体験を作文に書きました。「おばあちゃんのベッドを磨いていたらベッドが揺れて、不安そうな顔になった。『大丈夫だよ』って声をかけたら、『ありがとう』って言ってくれて、僕は気持ちがスーッとした」って。私は、これを読んで鳥肌がたつぐらい感動しました。

 日本では今、人と上手くコミュニケーションをとれない若者が増えているようですが、私はきっかけさえあれば変われると思います。子どもたちは素晴らしい感性を持っています。でも、なかなかそれを表現できる機会が少ないのだと思います。やはり、「三つ子の魂」と言いますが、小さいころから、親や周りの大人たちが子どもの存在を認め、誉めてあげること。そして、いろいろな人たちとの触れ合いの場を作ってあげることが大事だと思いますね。

いつまでも「異物」のままで

 私は年を重ねるのが好きで、年齢を聞かれるといつも実際よりも上の年齢を答えてしまう(笑)。今は40代半ばですが、50代はどんな自分になっているのか、とても楽しみですね。組織の中では、今でも自分は「異物」だと思っていますが、できれば最後まで同化はしたくない。コンタクトレンズは目にとっては異物ですが、レンズがあるとよく見えますよね。私もそんな存在でいたいと思っています。

 これから10年ぐらいは走り続けて、その後はまた新しいことをやってみたい。「今に満足しないで、常に変わり続けたい」。いつもそう思い続けているんです。もしかしたら、これは父からの刷り込みなのかもしれませんね(笑)。

(東京都渋谷区 少林寺拳法東京センターにて取材)



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