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166号 注目の人 小説家/荻野 アンナさん

「好奇心のアンテナをたてて、ひっかかるものを大事にする。
ひょんなことから、自分の世界は広がります」
荻野 アンナ/小説家
Profile

荻野 アンナ/小説家
1956年生まれ、横浜出身。
小説家。慶應義塾大学文学部仏文科教授。
フランス政府給費留学生として、パリ第4大学(ソルボンヌ)に留学しラブレーを研究。
その後、創作活動を始め、91年に「背負い水」(現、文春文庫)で芥川賞受賞。
「ラブレー出帆」(岩波書店)、「空飛ぶ豚」 (共同通信社)、「アンナの工場観光」(朝日新聞社)、「ホラ吹きアンリの冒険」(文芸春秋)などの作品がある。


好奇心のアンテナをたてて、ひっかかるものを大事にする


 私は特に趣味と呼べるものは持っていませんがもしかしたら、やっていることが全部趣味といわれればそうかもしれません。作家は自分の体験や、素敵な人や物との出会いがあれば、つい読者におすそわけしたくて書いてしまう。そういう意味では、仕事自体が趣味なのかもしれませんね。常に好奇心のアンテナをたてて、ひっかかるものは大事にしていますし、旅に出る機会も多いのですが、仕事で行っても、プライベートで行っても、旅先で出会ったことは、ネタになることが多いんです。

 たとえば数年前、「アンナの工場観光」というルポのため、月1回モノ作りの現場を取材して、すっかり工場フェチになってしまいまして(笑)。そのためプライベートでワイナリーに行っても、きっちり取材したり。また環境関連の仕事で、屋久島や尾瀬などの自然に触れ、人間と自然の共存について考えるようになっています。
 中でも私の父の若いころをモデルにした「ホラ吹きアンリの冒険」という小説の執筆のために出かけた旅は、非常に数奇で感慨深いものでした。

 この作品は船長として世界100ヵ国を回った私の父の生まれてから青春時代までを綴った一代記。そのため父の生まれたフランス、育ったアメリカ、そして初恋の人と出会ったニューギニアと彼の軌跡をたどってきました。

父の軌跡をたどる一人旅は、数奇なものだった

 まず父の生家が見たいと、フランスのサントという町にふらりと行ってみました。私が持っていたのは、家の番地と生家の写真だけ。数十年経ってますから、果たしてあるものか? 日本だったらパーキングになっていたりする可能性が高いですよね。迷いましたが、決行しました。着いたのはクリスマス、向こうでは日本のお正月のようにみなさんお家でのんびりとしている。人気のない石畳の通りを靴音をカンカンさせて歩いて、その番地に行ってみたら、あったんですよ。石造りの家がそのままの形で。


父の軌跡をたどって
訪れたニューギニアにて


 のぞいてみると人の気配があったので、思い切って訪ねると、色の浅黒いインド系の青年が出てきまた。そこで事情を説明すると、彼は南カリフォルニア大学の都市建築学科の学生だというんですね。何とその家は南カリフォルニア大学のフランスでのショートステイ用の寮になってたんです。中には十数人の国籍豊かな学生がいまして、この夜はたった一人のクリスマスのはずが、彼らの手造りのお料理をごちそうになり楽しかったですね。

 父の母、つまり私の祖母はフランス系アメリカ人で、フランスにお嫁にいった人です。やはり船長だった祖父は第1次世界大戦で船と一緒に沈み、祖母は子ども4人抱えて未亡人になってしまいました。ところが、当時のフランスの田舎では「アメリカ女」といわれ、街の人になじんでもらえず、結局実家のカリフォルニアに戻ったんです。その祖母が子どもをなし、何年も暮らしたフランスの家が彼女の故郷の南カリフォルニア大学の寮となっていた。まさに「事実は小説より奇なり」。まぁ私はそれを小説にしてしまったわけですが(笑)。

カルチャーショック連続のニューギニア


寅さんの格好で本をたたき売る
年1回の大道芸にて
(寅さんの格好をした人が荻野さん)

 その後、ニューギニアに行きましたが、これまた60年前に父がとった白黒の初恋の人の写真と「ハンナ」というその名前しかわからない状態で出かけまして。この名前、現地ではhの発音をしないので「アンナ」となるんです。でも私の名前は、父が初恋の人の名前をつけたわけではないんですよ(笑)。アンナはマリア様の母親の名なんですよ。敬虔なカトリックだった母がそこからつけたのですが、父としたら痛いというか、ヤバイ!と思ったでしょうね(笑)。

 さて、ニューギニアのニューアイルランド島、唯一の街「ケビエン」にラバウル経由で降り立ったのですが、空から見ると下は見事な緑のじゅうたんというか、あまりに緑が豊かなので滑走路が緑のパンチパーマに入ったそりこみに見えました(笑)。トクア空港は仮設なので、建物はトタン屋根に金網、フライトインフォメーションはホワイトボード。乗客の半分は裸足で半分はゴムぞうりです。また普通、機内の持ち込み禁止は携帯電話やパソコンですが、何と「エアーニューギニ」の国内線は「ビートルナッツ」が持ち込み禁止。これはかんでペッと吐くと赤い汁が飛ぶからなんです。何もかもすごいカルチャーショックでした。ケビエンの街を歩くと女性はレプレプという腰巻のようなスカートにメリーブラウスという民族衣装を着て歩いています。私もさっそくスーパーマーケットに飛び込んで、これを買って身に付け、気分はすっかり現地人で、街をぷらぷら歩いていたら教会からきれいな歌声が聞こえてきたんです。

 のぞいてみたら「一緒に歌おう」ということになり、一段落したら、「ところであなた誰?」という話になった(笑)。写真を取り出し「誰か、アンナを知らないか?」と聞いてみると、ハチの巣をつついたような騒ぎになりまして(笑)、あのアンナじゃないか、このアンナじゃないか?と、いろいろと案内してくれたんです。本物のアンナはドイツとの混血で、78才にはなっているはずなのに、中国との混血だったり、60才だったり(笑)。普通だったら、そこでおしまいですが、ホテルの従業員から、街のゴッドマザーのような女性、イップおばさんを紹介されたところ、何とアンナの娘モーリンを実質育てたのが、この女性だったんです。残念ながらアンナは亡くなっていましたが……。この島では今でも平均寿命は、50才代なんです。

 父の船が停泊中に、3回デートしたという、島長の姪娘アンナは、ドイツとの混血で、肌も髪の色もハチミツ色のいわゆる村1番の美女。父から聞いていた話は淡い恋物語というか、南の島のおとぎ話みたいなものだったんですが、イップさんから聞いたのは、その後の厳しい現実でした。

南の島のおとぎ話の先にあった厳しい現実

 アンナは現地の人と結婚して、男の子を2人産んで離婚。そしてドイツ人と再婚して、モーリンを産んでまた離婚と平均寿命の短い国で結婚と離婚を繰り返していたので、アンナは小さいモーリンの行く末に危機感を持っていたんですね。以前、不当に西洋人に交換された先祖代々の土地を取り戻す裁判を起こして、1回目、2回目と敗訴。このときに相手に傷を追わせ、投獄されてしまったんです。そして約2年後に出て、モーリンと2人で暮らし、ほどなく亡くなりました。

 ニューギニアでは西洋人との間の土地問題は根深いものなんだそうです。西洋人が来る前は貨幣経済もなく、簡素に平和に暮らしていた島が、貨幣と西洋のモノが入ってきて、初めて見るものが珍しく、現地の人たちは先祖代々の土地をつまらないものと交換してしまったんです。ブッシュナイフや塩や砂糖など。おそらくアンナの家もそう。このことで、すごく悲しい女の人生が見えてきた。それまで私自身北半球ばかり見てきたけど、南の現実はこういうものだと急に世界が広がりましたね。ニューギニアは先進国の基準からいえば貧しい。西洋文明が入る前と、暮らしも資源も大して変わっていないんです。椰子と魚だけ。ところが西洋人と共に、スパムのような肉のかんづめが入ってきて、そういうものがごちそうとなってみると、買うにはお金がいる。結果的に同じ暮らしでも、貧しさの実感を持つようになってしまったのです。

 ニューギニアの人々がどうしたら幸せになれるか?を考えると、答えはなかなか見つからないんです。緑のパンチパーマの反り込みが、もっと増えて、工場がばんばん建つのが豊かな生活か?というと疑問ですし、かといって今のまま自然を愛でているのがいいのか?この答えが見つけだせるとき、南の人々だけじゃなく、北半球の人々も幸せになれるような気がします。

年に1度の大道芸への挑戦。普段の自分とは全くちがう場を持つ快感!


マリリン・モンローの姿で参加した
大道芝居にて

 私は、大道芸や落語が大好きです。これは私が研究しているフランスの作家、ラブレーの影響でして、彼は広場で香具師が口上を述べてたたき売るしゃべりの芸を持っていると同時に、ものすごいインテリ。ルネッサンスとは、非常に知的なものとお笑いが共存した時代だったんですね。

 私自身、大道芸をやることがありますよ。地元、横浜の野毛で行なわれる年1回の大道芸のフェスティバルで、ここ数年、寅さんの格好で、自分の本をたたき売っているんです(笑)。前腹巻でだぼシャツ、はっぴに捻じり鉢巻きで「さぁさぁ、よってらっしゃい、見てらっしゃい、売るほどあるけどなかなか売れない荻野の本」とやっている。  ただでさえ、安く売っているのに、ジョークで「背負い水」に、ペットボトルの水をつけたりして、売れば売るほど損をする。おまけに代金は町内会に寄付するので、声を枯らして自分のサイフを軽くし、疲れはてるという究極の無駄。でもとても満足するんですね。

 この大道芸の前に、プレイベントとして大道芝居を行なうんですが、こちらにも親が死にかけた年以外は、毎年参加してます。この間、白雪姫の役をやったんです。当時45才でもうそれだけで笑いをとれる役でしたが、私はセリフを覚えるのが苦手なものでアドリブばっかり。ぽっと出て「私白雪姫。顔は白いけど、腹黒いのよ」とかアドリブいって、これまた失礼! と去っていく。マリリン・モンローをやった時は、下にホルスタイン柄のブルマーはいて、自分でスカートめくったり。しっかりゼミの学生がきていましたから教師としてはつらかったですね(笑)。

 何が楽しいって、座長の方以外は全て素人。普段会うはずのない人たちが、同じ舞台で俳優仲間として、一緒の時間を過ごすわけです。8才から80才のお年寄りまで、市長であろうが小学生であろうが、ここでは平等。作家、評論家、小学生、自転車屋のおかみさん、とんかつ屋の息子など、それこそいろんな人が参加するんです。  どうしても社会での自分の役割って、決まってますよね。名刺交換して、その肩書き見て、納得してつきあうというか。それに男性も女性も普段は人間関係が近隣に限られていますよね。だからこういった自分の属性とは無縁で、利害も何もない関係は、居心地もいいし救われるんです。

 父の軌跡を巡る旅のように、身近なものをちがう角度から見ることによって、別世界が開けたり、思わぬ方向に広がったり、自分の世界が広がっていくことがある。一方で全く得にならず、むしろ積極的に時間をかけて無駄をする場所を持ち、そこに身を置くというのも、自分にとってなかなか素敵なことだと思います。私の場合は、それを仕事にしているわけで、文学とは生き方。やっぱり仕事と呼んではいけないのかもしれません。

(慶応義塾大学三田キャンパス 研究室にて取材)



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