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146号 注目の人 久郷 ポンナレットさん

「カンボジアでの悲劇、そして日本へ
~祖国の文化・実体験を伝える~」
久郷 ポンナレット

カンボジアでの悲劇、そして日本へ

 私は1964年にカンボジアの首都プノンペンで生まれました。両親はいわゆる国家公務員でした。

 この国の中央部にはトンレサップ湖という湖があり、ここは魚の種類が世界一多い湖です。また、世界遺産としても指定されている壮麗な建築群、アンコール・ワットやアンコール・トムは「クメール文化」独自の文化の高さを象徴しています。

 しかし、1960年に始まった、隣のベトナムとアメリカの戦争によって、カンボジアの領内までも爆撃による被害を受けました。徹底した共産主義体制と「農民優位」を掲げたクメール・ジュは、アメリカの爆撃によって被害を受けた地方の村々を次々と支配下に治めていきました。そして1975年、ついにカンボジア全土を制圧したクメール・ジュは、「ポル・ポト」という人物を指導者に、カンボジアに悲劇をもたらしたのです。「ポル・ポト」はまず、約200万人のプノンペン市民全員を強制退去させました。そしてすぐに、「国家再建」を名目に「政治家や軍人・役人そしてあらゆる知識人」を呼び集め、虐殺したのです。私の父もこの呼びかけに応じたために、帰らぬ人となってしまいました。その後、食べ物をわずかに与えられただけの私たちプノンペン市民は家族バラバラになり、「集団生活」「強制労働」を強いられました。約4年間の苛酷な時代を生き延びた私たちは、日本に留学していた1番上の姉を頼って、1980年に運よく来日することができました。

日本での活動

 現在私は週に1度、日本の公立小・中学校に通っているカンボジアの子どもたちの日本語指導協力や悩み事(生活習慣のちがいなどで戸惑うこと)を聞いてあげるなどの活動をしています。小学校が2つ、中学校が4つの計6校を回っています。そして、その逆に日本で生まれたカンボジアの子どもたちに週1度自宅を開放し、ボランティアで母国語を教えています。また、様々なところからお招きいただいての講演や、自らを高めるために通信制の高校にも通っています。

カンボジアの伝統舞踊

 カンボジアの伝統舞踊は、12世紀のアンコール王朝のもとで完成しました。 その仕草は大変複雑で、しかも厳密な型をもっています。習得するためには長い年月を必要とします。そのため、幼いころから訓練を受けなければなりません。

 しかし、私の場合は伝統舞踊を20才近くになってから始めました。もちろんそれにはきちんとした理由があります。戦争のために両親と兄弟姉妹が犠牲となり、私たちは孤児となりました。未来を求めて、大変危険な地雷原を命がけで潜り、運よく国外へ逃れることができました。

 しかし、無事に来日した私たちを見る日本の人々の目は、「カンボジア」といえば戦争、難民、地雷、貧困などといった悲惨な面ばかりに偏っていました。「このままではいけない」と、同じような意見や境遇の仲間たちと相談しあった結果、「皆で祖国の明るい文化の面を日本の方に見せよう」ということになったのです。

 そんなわけで、私は現在もカンボジア伝統舞踊を踊り続けています。



本の出版

 カンボジアでの体験や日本での活動をまとめた「色のない空(春秋社)」という本を書きました。きっかけは、わが子に私の両親のことを尋ねられてもうまく説明できなかったことでした。「おじいちゃまとおばあちゃまは、天国に行ってしまったのよ」と答えるほかはなかったのです。 しかし、いずれは事実を伝えなければなりません。それに、せっかく講演会などの機会を得られても、結局最後まで口では語れないもどかしさが残ってしまう自分を情けなく思う気持ちがいつもありました。そして、現代の私たちが忘れがちな平和の大切さを思い起こしてほしかったのです。

 戦争、つまり殺人の恐ろしさ、たった1つの命の尊さ、平和のありがたみなどを皆で考えていただきたいです。平和はいとも崩れやすいものですが、戦争を平和に立て直すのは簡単なことではありません。カンボジアのように20年続いた内戦から10年たった今もなお、人々の心は深い傷を負ったままです。  この1冊の本を書き上げたことで、長い間私の心の奥にへばりついていた痛みや苦しみが解けていく思いがしました。この本がささやかながらも両親や兄弟たち、そして数百万の犠牲になった同胞たちのご冥福への捧げ物となりますように。そして、戦いのない世界を求める祈りの力となりますように。


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