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本音のエッセイ

309号 国際中医師・NPO法人WAHAHAの会 理事長 木元 聖花さん

夫婦・家族・夢

国際中医師・NPO法人WAHAHAの会 理事長 木元 聖花さん

国際中医師・NPO法人WAHAHAの会 理事長 木元 聖花さん

木元 聖花/国際中医師・NPO法人WAHAHAの会 理事長

1957年生まれ。広島大学工学部醗酵工学科で生命工学の研究をした後、老舗食品メーカー技術開発研究所に在籍。2002年に夫と個人オーダーメード漢方食品の会社設立。後に木元漢方食品研究所を開設、所長に就任。がん患者を支援するNPO法人WAHAHAの会理事長。ガン予防大学、気功教室主宰。

 2011年5月20日、夫、正均が世界最高峰エベレスト登頂に成功しました。無事に五体満足で私の元に帰ってきてくれた夫に感謝の気持ちでいっぱいです。

 2011年4月1日、正均をエベレストへ見送る関空で、正均は強く私を抱きしめてくれました。「必ず生きて帰ってくるから待っててくれ!」と言い残してチベットに向かって旅立ちました。姿が見えなくなるまでお互いに一生懸命に手を振りました。もしかしてこれが夫との最後の別れになるかもしれないと思うと、涙が止まりませんでした。

 正均がエベレストに行っている2カ月間、私はいろんなことを思いました。夫婦のこと、娘のこと、家族のこと、命のこと。

 正均に出会ったのは26歳のとき。お互いに母孝行を人生の目標に生きてきた2人が意気投合して結ばれたのが1984年春でした。それから30年の歳月がたちました。

 夫はいつも私の夢を支えてくれました。長女が生まれて2カ月半で、私が日本へ国費留学をすることになったとき、正均は迷うことなく「娘は俺が育てるから、お前は日本に行って来い」と後押ししてくれました。

 心を鬼にして日本の土を踏んだのが1986年11月15日。生まれて2カ月半の娘を置いての1年間のつらい留学を終えて帰国。空港で1歳2カ月になった娘が「ママ」と呼んでくれたときには最高の幸せを感じました。その娘も今は、28歳になり、自分の夢を持ってロシアと日本を行き来しながら頑張っています。

 その後、私は日本企業に主任研究員として11年間勤務した後、2002年に夫と一緒に独立して、株式会社マルセイ漢方食品研究所を設立しました。今は一人ひとり、健康相談をしながら、オーダーメードの漢方食品を調合する仕事をしています。

 正均をエベレストへ送り出してから、私は毎日近くの山に登って朝日に向かって、夜は月に向かって、正均が必ず登頂して無事に帰ってくるように祈りました。

 そして正均が生きて帰ってくることを強く信じました。正均は、エベレストにチャレンジするために日本100名山を駆け足で2年半で登りました。また私の漢方の一番の利用者で、10年かけて体づくりをしてきました。何よりも、中国文化大革命のとき父が迫害を受けて自殺し、貧しい生活を強いられる中、生き延びてきた忍耐力と根性があります。エベレスト山頂へアタックする前夜の2分間の衛星電話での「限界ギリギリを乗り越えるのがおれの得意だよ、おれを信じて待ってくれ」との正均の声が、崩れかけている私を支えてくれました。

 このたび、正均の初の著書「天国の母に届け!お母さん生んでくれてありがとう!」が出版され、私も読者として読み、涙が止まりませんでした。泥水をなめるような悪環境を生き抜いた夫、そして今やっと幸せをつかんだこの男を、妻として必ず世界一幸せな男にしてあげたい、と私の胸の中から新たな夢、目標が生まれました。

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