Wendy-Net トップページ > 本音のエッセイ > BackNumber > ドラマー・日中文化研究家 瞳 みのるさん

本音のエッセイ

302号 ドラマー・日中文化研究家 瞳 みのるさん

『花の首飾り』の故郷

ドラマー・日中文化研究家 瞳 みのる

ドラマー・日中文化研究家 瞳 みのるさん

瞳 みのる/ドラマー・日中文化研究家

1946年京都市生まれ。67年ザ・タイガースのドラマーとしてデビュー。解散後は慶應義塾高校で教鞭を執る傍ら中国文学の研究を続ける。全国ライブツアー公演中。近著『ザ・タイガース「花の首飾り」物語』小学館。オフィシャルサイト www.hitomiminoru.com/

 北海道の、ちょうど一番くびれたあたりに位置する「八雲」という町をご存じだろうか。

 南の玄関口・函館からJRで1時間余り、二海郡というその名の通り、太平洋と日本海の2つの海に臨む希少な場所である。

 僕が初めてこの地を訪れたのは2010年の秋だが、八雲と僕の出会い(縁)が46年前にさかのぼることを、僕自身もつい数年前まで知らなかった。

 日本が経済成長の波高く激動していたころ、僕は音楽に人生を懸けて、ザ・タイガースというバンドで活動していた。

 その僕たちのグループ最大のヒット曲が、1968年発表の『花の首飾り』である。この曲は、月刊誌が企画した公募による作詞をもとに作られたものが大ヒットを記録するという画期的な作品であった。そして、その公募に見事当選して『花の首飾り』の作詞者となったのが、八雲に住んでいた菅原房子さんだったのだ。当時、菅原さんは19歳の女学生だった。 

 ザ・タイガースは、大人たちの顔をしかめさせて不良少年の代名詞のように扱われたGSブームの、頂点に君臨した。そして保守的な社会の思惑とは反対に、多くの少年少女たちの憧れを背負った。その象徴が、13万543編もの応募作品の中から選ばれ、文字通り花を咲かせた『花の首飾り』であると言っても決して過言ではないだろう。

 京都から夢を道連れに上京した僕たちは(本来京都に上るのであって上京とは言いたくないが)、またたく間にアイドルに仕立てられ、寝る間もない生活を強いられて、連れて来たはずの夢も実際には見ることがなくなっていた。そこはもう、僕にとって居るべき場所ではなかった。1971年1月の解散公演をもって、僕は芸能界から引退した。まだ20代前半の大きな試練であった。

 しかし人生は一度きりではないと、歌が教えてくれた。メンバーの呼び掛けに応じた形で2008年に仲間と再会して、再び音楽と向き合うことになった僕は、ドラムのスティックを握って、今ステージに立っている。遠い日に忘れかけていた夢を道連れに。

 僕が八雲を訪れたのは、ザ・タイガースの代表作である『花の首飾り』のルーツをたどりたいと思ったからだ。

 近年、僕は近代音楽の成り立ちと、それぞれの音楽を育んだ文化の土壌について研究を続けている。その中で、『花の首飾り』がどのような土地から生まれたのか確かめたいという思いが強くなっていった。

 『花の首飾り』の故郷は美しかった。土地も人柄も。この曲の美しいイメージそのものだった。今あらためて音楽の素晴らしさに感動している。今年は全国20カ所で新編成バンドを従えてライブを行う。そのステージでは、ソロでこの曲を歌うことになっている。原曲の高音は出ないが、菅原さんと八雲への感謝を込めて、心から歌ってみたい。

 八雲に思いを馳せていると、その様は北海道がかわいく曲げた鳥の頸のように見えてきた。この八雲の白鳥にも似た小首にも美しい花飾りをかけてほしいと、まるでそうねだられているようで、今すぐにもまた飛んで行きたくなってしまう。

BackNumber

(無断転載禁ず)